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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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突き抜ける青空の日は、多摩の横山。


秋には、突き抜けるような青空の小春日和がある。そんな日は、あまり風が強くないかぎり、多摩の奥山にプチさん(小さい散策)。

長沼駅から登るか、平山城址公園駅から登る。いずれも、二時間から三時間の歩行。深山渓谷ではないが、それでも尾根縦断の気分が味わえる。木が多いので、空気もいいみたい。

いちばんありがたいことは、混んでいないことだ。
平日であると、ほとんど誰もいない。

だから、足を捻挫などすると困る。むろん、救急車が入れない林道である。そうは言っても、突き抜けるような青空であると、私はどうしても歩きたくなってしまうんだ。





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後継者、いない事業はする価値もなし。


考えてみれば、人間が一代限りですることなどは大(たい)したことではない。やはり、伝統が受け継がれることが必要であろう。

多摩市の落合に「三代目」という料理屋があった。
しかし、いつの間にかなくなってしまったのである。
おそらく、四代目がいなかったのであろう。

貸家の張り紙を「唐様(からよう)で書く三代目」などと言う。
代は続いたものの落ちぶれてしまった様(さま)を冷やかした川柳。
だから、何とかして跡継ぎを作ろうとするのも必然。
家元などでは自分のできの悪い子どもに無理をさせたり、嫁婿を迎えたりして、何とも大変なことである。

まぁ、それに比ぶれば気楽ではあるが。




すぐ疲れちゃうのは、どこか病気のためか?


最近になって、疲れやすくなったみたい。
ちょっと歩いたり、力仕事などをすると、とても疲れてしまう。
まったく、困ったことである。

いわゆる加齢のためであろうか。それとも、何か重大な病気になったためか。いずれにしても、何とかしなければならない。

しかし、栄養のあるものを食べると太ってしまう。太ると、糖尿病や腰痛、そして膝の痛みを生じるだろう。すると、それがまた不調の原因。何のことはない、堂々巡りで悪化してしまう。

それでなくても、食後はだるくなったり、眠くなったりする。
そんなわけで、内科の先生に診てもらっている。しかし、なかなか結果がわからない。消化を助けるツムラの漢方薬などが出る始末。

話は飛躍するが、もしかしたら私の回りの空間が変わって、身体の負荷が増えているのかもしれない。例えば宇宙飛行士が帰還すると、3段ほどの階段も上がれなくなって、昇降機が必要になるという。

自分自身のことではなく、環境の変化が原因の場合もあるということ。
実際は、どうなのだろうか。


500メガバイトになって、まだまだ未完。


ホームページも、すでに4年目。
いまだに未完で、不満。なかなか思ったようにできない。

『青空のホームページにようこそ!』(yah)

の容量は、1ギガバイトある。しかし、まだその半分しか入っていない。
だから、今後もどんどんと増やしていける。
楽しみではあるが、なかなか大変。

そこで、残っている部分を自分自身の覚えやメモとして活用しよう。
なぜならば、訪問者も少なくて反応もあまりないみたいだから。

自分の責任で、自分が費用を出してしていることだが、インターネットに接続をしてあるので、注意も必要。なぜならば、あまり無責任なことを書くと問題が生じるであろう。
その辺が難しいところ。今後の課題でもある。

あなたは、どうしていますか?


限られた人とだけしか付き合わぬ人。


実は、私もそうである。
いろいろな人と会うが、どうも気を使って疲れてしまう。なかなか人間関係は面倒であるからだ。

よいときは、よい。しかし、いったん利害関係がこじれると問題。部外者からも、たれ込みや横やりが入る。あげくの果ては、裁判になったり、国会の証人喚問のように、あまねく恥をさらす。

そんなことなら、最初からしないほうがよい。
『徒然草』第七十五段に、

<人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。>

というくだりがある。
上の新句(十九音)が短歌ならば、

「限られた人とだけしか付き合わぬ哀れでもあり愚かでもある」

と、私もするでしょう。




失礼な人がたくさんいる、この社会。


人間の遺伝子は、自分自身のことしか考えないで、身勝手に動くようになっているらしい。そんなわけで、この世の中には失礼な人が多い。
自分の利益のためには、他人の健康や幸福などは考えない。儲かればそれでよいという単刀直入な考え方をする人が、次々と後を絶たない。

また、不愉快な人も多い。
仏典にも「怨憎会苦」(おんぞうえく)という言葉がある。「四苦八苦」の中に「生」「老」「病」「死」などと一緒に含まれている。いやな人や嫌いな人と、一緒に何かをしなければならないという苦しみ。
嫁と姑(しゅうとめ)の間などでも、よくあることだ。

また、私はソクラテスの話を思い出す。
ある人が、「出会っても挨拶をしない人がいる」とソクラテスにこぼす。
すると、彼は「君は道で、足のない人にあったら怒るか?」と尋ねた。
そして、言った。
「挨拶もできない人は、足がないと同じように身体に何らかの精神的な欠陥があるのだ。」
浩然の気を養うために、プチさんをする。


「浩然の気」とは、『孟子』にある言葉で「自然の空気を吸って、のびのびとしよう」と言ったような意味ではないだろうか。
もっと大きく「天地間に満ちている自然の気」と考えてもよいだろう。

いずれにしても、よい環境で、よい空気を吸うのはよいことである。
よいよいになってからでは、外出ができない。
そこで、元気なうちにプチさんをする。

プチさん(小さい散策)とは、言葉通り「プティな散歩」と言ってよい。身近なところで、気軽にできる範囲でよいのだ。

私は、駅の周辺でプチさんをする工夫をして、いままとめているところ。
詳しくは、下記の「プチさん(小さい散策)」を参照して下さい。

http://www.geocities.jp/rikwhi/index_sousaku.html


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