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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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目的のないプチさん(プティ散策)も楽しからずや。


とくに、何時までにどこに行く、などということはない。
ただ、ぶらぶらと逍遥をする。何とも楽しいことではないか。

なるべく、近所の見知らぬ道を行くのがよい。すると、はっとするような再発見などもあって、認識を新たにすることができる。
また、いつもと違った目で見ると、斬新な光景として写るから不思議だ。

本当は、遠くの見知らぬ土地に旅行をすればよいのであるが、交通機関など途中の事故や、自分自身の体調を考えると、なるべく危険や心配のあることは避けたい。人には、迷惑をかけたくないからだ。

そんな次第で、ご近所のプチさん(プティ散策)に相成り、負け惜しみでなく正直言って、海外旅行や世界資産などを見に行かなくても、私は大いに満足をする。さらに詳細は、ここの「プチさん(小さい散策・駅周辺再発見)シリーズ」をご覧ください。

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ほどほどにしてもらいたい! 四添加物。


最近の食材には、かなり多くの添加物が含まれているようだ。
いわゆる「四添加物」とは大げさに「四大添加物」とも言われ、「化学調味料」「人工甘味料」「合成着色料」「人工保存料」の四つである。

流通や保存のことを考えると、いたしかたがないのかもしれない。
しかし、それらが人体に好ましくない影響を与えることはほぼ事実。

安全のためにも、何とか体内に取り入れる量を少なくしたい。
素材から調理をすると、摂取量が減るかもしれない。しかし、果物や野菜などを考えると、すでにポストハーベストの問題がある。

ポストハーベストは、収穫後の農産物に使用する「殺菌剤」「防カビ剤」など。つまり、ハーベスト(収穫)のポスト(後)という意味。
日本では、収穫後の作物にポストハーベストすることは禁止されているが、アメリカなどから輸入する果物には倉庫保管や輸送中にカビ等の繁殖を防止するために使用されている。

バイアグラばかり続けて、迷惑メール。


ここのとこと、バイアグラのメールが、続けて次々と来る。
最初は送信者のアドレスを「迷惑メール」フォルダにしておいたが、それでもすり抜けて「受信トレイ」に入ってしまう。

おそらく、たくさんのメールアドレスをもっているか、何が何でも受信トレイに入っちゃうように細工がしてあるのだろう。
さすが、バイアグラのメールだけあって、なかなか精力的である。

しかし、「である」ではあるけれど、私の場合にはバイアグラの必要性がまったくない。それでなくても、体調がよくないのでメールが来ても、仕方のないことである。

しかし、このメールと同様に、送信の費用はあまりかかならい。
したがって、相手にいやがられても、性懲りもなくしつこく出し続ける。
このメールと同様に。
そんなこと、どうでもよいと思いつつする。


人生には、いろいろと煩わしいことがある。
そんなに大げさに言わなくても、日々の生活の中には面倒なことが多い。そして、それが習慣化をしてしまったために、ムダなことをし続ける。何とかならないものかと思いつつも、即座には何ともならない。

つまり、価値観をどこに置くかによって、ムダなことをし続けてしまうようだ。
それではいったい、日々の生活は何のためにあるのだろうか。

エントリピーが増加するのであるから、必然的にすることも増える。
エントロピーは、システムの無秩序さや不規則さの度合を表すので、不可逆変化をするときには必ず増大する。

そんなわけで日々、科学が進み、新製品が出てくる。法律なども、次から次へと制定されて、キリがない。しかし、複雑になればなるほど、ムダも増えてしまう。
何とかならないものか。

十九字で、言いたいことを書く難しさ。


言いたいことはたくさんあります。
十九字というか、十九音では、言えることが限られてしまうでしょう。
あれも言いたい。これも言いたい。などと言っていると、書ききれません。そこで、骨子のみを文字にするのです。さらに、追記が必要であれば連作をするか、このように作品に添え書きをすればよろしい。

いずれにしても、自分自身が生きている証明として、このようなことをしているのですから、あまり他人を意識する必要はありますまい。

そんな意味で秀作である必要はなく、心の記録となれば表現に問題があってもいいのです。

今までの短詩系とは、ちょっと異なった形を用いているのも、言ってみればそのためです。
この新句(十九音)も、種田山頭火や尾崎放哉の作品が俳句とは言いながら俳句を超えているのと、よく似た事情でありましょう。

身体(からだ)とは、汚い皮の袋と思え。


何とも、いさぎよい考え方かもしれない。
ここのところ、血液の中のパラサイトに痛めつけられたので、そんな考えになってしまったのかもしれない。

また、いっぽうでは口腔に住みついた歯周菌にも悩まされている。いくら歯科医にかかっても、なくならない。おそらく生きている間、なくならないのだろう。

具合の悪いことには、その歯周菌までもが血液の中に入ってしまったらしい。そして、日和見菌として虎視眈々と隙を窺っている様子。
まったく、おそろしいことだ。

血液の中のパラサイトについては、マクロライド系、ペニシリン系、そしてもう一つ1時間半の点滴で抗生物質を入れた。その結果、何となく収まった感じ。
今までの愚かだった食事生活と生活習慣の結果であるから、情けない限り。
身体が、パラサイトの入れ物になっちゃったみたい。


病人が作られていく過程、知りたり。


先日、南大沢の病院に行ったときのこと。
あふれるばかりの待合室。50人以上もいて、椅子には座りきれない。最初、私は集団中毒のような異変でも起こったのかと思った。

しかし、そうではない。
一人ひとりは、異なった症状のようである。
そして、互いに病人が多いことを驚いているような様子。そんな感じがしたのである。

でも、実際には私もその中にいるのである。
したがって、偉そうなことは言えない。少しずつ、体調を崩していくうちに、ここの常連の客になってしまった。

そんなことは、待合室にいる全員に言えそう。
病気は、自分自身が作っていくものらしい。
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