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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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おっかなくなってやめたよ、大食いと酒。


間違ってはいけない。
大食いをやめたわけではない。また、酒も毎日飲んでいる。例えば、吉野家でも松屋でも、必ずビール。お茶を飲まないかわりに、ビンに入った500ミリリットルのもの。

それでは、上の句は何なんだ。
健康の問題から、まったくやめてしまった「大食いと酒」。
つまり、「大食い」をして「大酒を飲む」のをやめたわけ。片一方ならば、かまわないのである。

なぜかというと、加齢とともに身体のバランスが崩れてきたらしい。具体的には、インシュリンの分泌が減ったのであろうか。血液の中の血糖値がなかなか下がらないのである。つまり、食後数時間は糖尿病と同じ状態。

したがって、シェーキーズのピザ食べ放題はまだ大丈夫。そして、そのときピッチャー半分ならばよろしい。半分は、妻が助けてくれる。
うんと酒を飲むことは、体力的に無理なので、今後はないであろう。
しかし、腹いっぱい食べたいという気持ちは、まだまだなくならない。
困ったことである。
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喧嘩して別れるほどの愚か者なし。


老いてくると、あまり不愉快な思い出は作りたくない。
そこで、私は喧嘩をしないようにしている。実際には、喧嘩どころか勝負事一般、競争、賭(かけ)、籤(くじ)などもしない。

将棋をするじゃないかというが、実際に相手とするわけじゃない。パソコンのゲームでする。実力を伸ばすためとか、勝つためではない。単に、老化予防のためのいわゆる脳のトレーニングである。

決められた規則の中で、いかに工夫をすることが大切であるか。そんなシミュレーションが9×9の小さな升目の中で行える。その効果までを考えると、素晴らしいことである。

そんな意味で、近代将棋よりも木村名人や益田名人、そして坂田九段の棋譜は勉強になる。囲碁・将棋チャンネルで、過去の棋譜の再現と解説をしてくれるので、何とも楽しみである。

関係のないメール来て、迷惑である。


ここのことろ、関係のないメールが多く来る。むろん、いちいち開いたりはしないが、削除をするのが面倒。ただ、ノートンをやめて新しいウイルスチェックにしてから、迷惑ホルダーに自動的に分類してくれる。

それでもバイアグラなどは、別のメールアドレスで来るらしく、何回もすり抜けてしまう。とにかく、一日に二・三百通もスパンなどが来るので煩わしい。そこで、原因になるであろうヤフーほか二つのドメインをやめた。

いかがわしい案内やビジネス、そして犯罪としか考えれないメールは煩わしい。それに巻き込まれるのを自分で避けなければならないからだ。パソコンをしないのが手っ取り早いので、10年ほどやめた期間がある。しかし、現在はそうできない事情になっている。

包丁が各家庭にあっても、誰もがそれで人を殺したりしない。また、わざわざ危険な地域の外国に旅行をしたりする人はいないだろう。なるべく、自分のほうから近づかないのにかぎる。危険なサイトや不愉快なグループは、すでにやめてしまった。


書き足していけば、次第に誤りは減る。


いっぺんに大きなものを作ろうとするのは、体力的にもムリだろう。また、飽きっぽい私にはとても気力が続かない。

そこで、少しずつ作っていく。最初は、ごく簡単なもの。そして、それを機会があるごとに、メークアップする。そんな方法に決めた。

「推敲」(すいこう)という言葉がある。
詩や文章を作るときに、字句をいろいろと考えること。このことは、老化予防に素晴らしい効果があるんじゃないか。私は、いつもそう思う。

唐の詩人、賈島が「僧推月下門」の「推」を「敲」にしようとして迷ったことによる。自分ではなかなか決めかねて、韓愈にアドバイスを受けて「敲」にしたという。

私も、ときどき元新聞社の論説委員だった高守さんにご教示を願う。
素晴らしい助言がいただけるので、感謝をしている。

朝起きて、つくづく思う、今日も生きてる!


なんとも有りがたいことである。眠りが浅くなってしまったせいか、午前2時ころに起きてしまったり、体調が少々よくないけれど、それでも生きている。そして、いろいろと楽しいことが日々尽きない。

プチさんをしたり、デパートに行ったりする。
雨が降ったら、ちょっとプチさんは無理。しかし、隣のデパートならば傘なしで行ける。何も買わなくても、それはそれでいいんだ。

プチさん(プティ散策)は、私が始めたゆっくり歩きの身近な再発見。とても楽しい時間である。歩行禅を兼ねて健康的であるし、金もあまりかからない。

デジカメをもっていって、あちこちでパチリ、パチリ。
帰ってからが大変。エキスプローラでざっと見た後で、ペイントショッププロで若干のトリミングや編集。ホームページビルダーでアルバムにする。
しかし、その作業もやってみると楽しい。生きていることの充足感が、そのようなつまらない作業の中にもある。

道元が唐で見たという「椎茸を干す老いた和尚」の話を思い出した。
クマさんの一人相撲は、さびしいかぎり。


いつも思うことであるが、クマさんが一人で四股(しこ)を踏んでいる。
この動画ファイルは、4年前に買った富士通のノートパソコンにプレインストールしてあったホームページビルダーに付いていたもの。

しかし、なぜかその時点では他の動画ファイルのようには公開をしていなかった。いわゆる隠しファイルであったのだ。最近のバージョンでは、緑色のドラゴンくんなどといっしょに並んでいる。

私は、マイコンピュータのエクスプローラで、画像ファイルを一つずつビュアーしながら試していって見つけたもの。そんな努力と苦労があったので、気に入ってしまったのだ。
招き猫でもよかったのではあるが、自分で作るのは面倒くさい。そこで、クマさんのほうが手数がかからないとも思った。

でも、いつも一人相撲をしているようで、我ながら何となく、ちょっと情けない気持ちもすることは事実。


プチさんの後で、Google見ては楽しむ。


プチさん(小さい散策)をした後で、歩いたところをGoogleの地図で見るのが楽しみだ。
とくに、鳥瞰図というか航空写真モードで見るのは面白い。

でも、林の中の木漏れ日の道などを歩いたときは、航空写真ではちょっとわかりにくくてダメ。なぜならば、上から見ると木が茂っていて、道がどこにあるのかがわからない。

ふつうの道ならば、家一軒がはっきりとわかる。
はじめは、縮尺を大きくしておいて位置を決めてから、拡大をしていく。すると、はっきりと自分自身が歩いたところがわかる。

「もっと近道ができたなぁ」などと思うこともある。
客観的に、自分が歩いた道を見るのは、何とも面白いことだ。

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