rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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さあ行こう! 死出(しで)の旅路へ向かって一歩。
毎年、八月の暑い盛りに私の誕生日は来る。
今年も、やってきた。
来年は、来るのだろうか?
死出とは、「死んで冥土へ行く」ことである。冥土(めいど)とは、仏教で言う「死者の霊魂が行く暗黒の世界」である。「あの世」とか「冥界」などとも言う。
「死出の旅」というとふつう「死ぬこと」であるが、死ななくて生きているうちも、そこへ向かって旅をしていると思えばよい。
少なくとも、私はそう思う。
そこで、今年もそこに向かって、暑い最中(さなか)ではあるが、一歩近づいて踏み出したという感じだ。
毎年、八月の暑い盛りに私の誕生日は来る。
今年も、やってきた。
来年は、来るのだろうか?
死出とは、「死んで冥土へ行く」ことである。冥土(めいど)とは、仏教で言う「死者の霊魂が行く暗黒の世界」である。「あの世」とか「冥界」などとも言う。
「死出の旅」というとふつう「死ぬこと」であるが、死ななくて生きているうちも、そこへ向かって旅をしていると思えばよい。
少なくとも、私はそう思う。
そこで、今年もそこに向かって、暑い最中(さなか)ではあるが、一歩近づいて踏み出したという感じだ。
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よい水を飲もう! 身体(からだ)の維持のためにも。
八月の半ば、盆の時期。終戦の日前後でもあって、暑い日が続く。
熱中症で死んでいる人も、かなりいるというニュースがあった。
テレビなどで、「水を飲め」と盛んに言う。
しかし、ちょっと無責任ではないだろうか?
どんな水でも、飲まないよりは飲んだほうがよいのかもしれない。しかし、健康的な飲み水は、もはや私たちの回りにあまりないからである。水道水なども含めて。
人間は、古くから地下水などの清潔な生水(なまみず)に親しんできた。とくに、日本人はそうである。
遺伝子は、化学的な水や作られた水には慣れていない。煮沸をして滅菌をしたからといって、身体によいとは限らないのである。
おいしい味がするということと、身体によいということは、まったく別なことと思うのだが、……
八月の半ば、盆の時期。終戦の日前後でもあって、暑い日が続く。
熱中症で死んでいる人も、かなりいるというニュースがあった。
テレビなどで、「水を飲め」と盛んに言う。
しかし、ちょっと無責任ではないだろうか?
どんな水でも、飲まないよりは飲んだほうがよいのかもしれない。しかし、健康的な飲み水は、もはや私たちの回りにあまりないからである。水道水なども含めて。
人間は、古くから地下水などの清潔な生水(なまみず)に親しんできた。とくに、日本人はそうである。
遺伝子は、化学的な水や作られた水には慣れていない。煮沸をして滅菌をしたからといって、身体によいとは限らないのである。
おいしい味がするということと、身体によいということは、まったく別なことと思うのだが、……
生きざまを一つずつ書き、記憶にしよう!
日々の細かいことでも、思いついたことはメモっておこう。
それは、「生きている証明」のためにだ。
なぜならば、高齢になると「何もかも面倒になってしまう」人が多いので、つい自分を見失いがちになる。
好々爺(こうこうや)などと言われる人に、そんな人がいる。
また、意地悪ばあさんなどという人たちもいる。
いずれにしても、歳をとると独りよがりになりやすい。
「生きている証明」の他にも「自分自身を見直す」ことができるから、日々思いついたことなどもメモをするんだ。
日々の細かいことでも、思いついたことはメモっておこう。
それは、「生きている証明」のためにだ。
なぜならば、高齢になると「何もかも面倒になってしまう」人が多いので、つい自分を見失いがちになる。
好々爺(こうこうや)などと言われる人に、そんな人がいる。
また、意地悪ばあさんなどという人たちもいる。
いずれにしても、歳をとると独りよがりになりやすい。
「生きている証明」の他にも「自分自身を見直す」ことができるから、日々思いついたことなどもメモをするんだ。
忙しげに(せわしげに)、鳴く蝉たちの声高まりぬ。
早朝に起きたら、すでに蝉が鳴いている。
2007年8月15日、水曜日である。
近くの「霞が関公園」から聞こえてくるのであるが、ものすごい数のようだ。
ミンミン蝉でも、ヒグラシでもツクツク法師でもない。
おそらく、アブラゼミであろう。
早朝の静寂(しじま)を破って鳴いているのであって、その音は岩に浸み(しみ)入ったりする感じではまったくない。
しかし、賑やか(にぎやか)ではあるが、何となく命の儚さ(はかなさ)を感じるのは、私だけであろうか。
早朝に起きたら、すでに蝉が鳴いている。
2007年8月15日、水曜日である。
近くの「霞が関公園」から聞こえてくるのであるが、ものすごい数のようだ。
ミンミン蝉でも、ヒグラシでもツクツク法師でもない。
おそらく、アブラゼミであろう。
早朝の静寂(しじま)を破って鳴いているのであって、その音は岩に浸み(しみ)入ったりする感じではまったくない。
しかし、賑やか(にぎやか)ではあるが、何となく命の儚さ(はかなさ)を感じるのは、私だけであろうか。
学校で学んだことを答えてみたが、……
就職試験のときのことです。
私は学校推薦でしたから、筆記テストはありませんでした。
総務部長の後に、社長であられた岩崎小弥太という方の面接がありました。何となく学者風の物静かな方で、「学校で何を学びましたか」とおっしゃったのです。
戦後、10年ほどの時期でしたから、「東条英機を尊敬している」などとは言わずに、「憎しみを払拭することが大切だ」と答えました。
また、「心を研ぎ澄ます技法」などを学生時代に習得したとも言いました。
そして、さらに欲に捕らわれない心構え。いかり、ぐち、むさぼりなどを注意したい。つまり、「物質的な充足だけではいけない」などと生意気なことを言ったのです。
経営陣は、呆れかえって辟易(へきえき)したみたいですが、それでも合格。
私は、何年かその会社で楽しい日々を過ごしました。
就職試験のときのことです。
私は学校推薦でしたから、筆記テストはありませんでした。
総務部長の後に、社長であられた岩崎小弥太という方の面接がありました。何となく学者風の物静かな方で、「学校で何を学びましたか」とおっしゃったのです。
戦後、10年ほどの時期でしたから、「東条英機を尊敬している」などとは言わずに、「憎しみを払拭することが大切だ」と答えました。
また、「心を研ぎ澄ます技法」などを学生時代に習得したとも言いました。
そして、さらに欲に捕らわれない心構え。いかり、ぐち、むさぼりなどを注意したい。つまり、「物質的な充足だけではいけない」などと生意気なことを言ったのです。
経営陣は、呆れかえって辟易(へきえき)したみたいですが、それでも合格。
私は、何年かその会社で楽しい日々を過ごしました。
有限の身で、限りなく求めゆく馬鹿!
『荘子』(そうじ)ではありませんが、無限に近い分野まで求めていくことがいかに危うい(あやうい)か。
ヒトの遺伝子が、競争をするようにできているので、それは仕方ないのかもしれません。
しかし、そのために人間の社会には学校があるのです。
そこで、人間性を教育することが人間にはできるのです。
しかし、現代の競争社会では「本来の教育」とは異なった形のことが行われているのでしょう。
いつまでたっても、戦争をはじめバカバカしいことが多く、理想的な社会が来ないのは、必然のことです。
学校教育を受けた子どもたちが大人になって、その大人が社会を運営するのですから。
総理大臣なども、例外ではありません。
『荘子』(そうじ)ではありませんが、無限に近い分野まで求めていくことがいかに危うい(あやうい)か。
ヒトの遺伝子が、競争をするようにできているので、それは仕方ないのかもしれません。
しかし、そのために人間の社会には学校があるのです。
そこで、人間性を教育することが人間にはできるのです。
しかし、現代の競争社会では「本来の教育」とは異なった形のことが行われているのでしょう。
いつまでたっても、戦争をはじめバカバカしいことが多く、理想的な社会が来ないのは、必然のことです。
学校教育を受けた子どもたちが大人になって、その大人が社会を運営するのですから。
総理大臣なども、例外ではありません。
あまりにも多くのことを求めるのは、愚(ぐ)。
「あれも欲しい。」とか「これもやりたい。」などと、次々と欲望には限りがありません。
しかし、それも若かったときです。
老いてくると、次第に意欲が薄らいでくるようです。
「ほどほどにする」というような考えが、そろそろ芽生えてきたからかもしれません。
ほんとうは、若いときも自制が効かないといけないのです。
間違った学校教育の結果というか、原因は明白です。
なぜ、そのことを国や文部科学省などが気づかないかということに、私は疑問をもっています。
「あれも欲しい。」とか「これもやりたい。」などと、次々と欲望には限りがありません。
しかし、それも若かったときです。
老いてくると、次第に意欲が薄らいでくるようです。
「ほどほどにする」というような考えが、そろそろ芽生えてきたからかもしれません。
ほんとうは、若いときも自制が効かないといけないのです。
間違った学校教育の結果というか、原因は明白です。
なぜ、そのことを国や文部科学省などが気づかないかということに、私は疑問をもっています。