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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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わたくしは、「食事は儀式」、そう考える。


毎度の食事である。忙しいときは、つい掻き込(かきこ)んだりする。丸飲みのこともある。しかし、それはいけないこと。渡邊五郎師は、外食であっても食事の前後に、ていねいな合掌をなさる。

仏教には「五観の偈」(ごかんのげ)がある。食事の都度「多くの人が働いて、この食事ができた」「自分はこの食事をいただく価値があるか」「貪(むさぼ)りの心を持たないことを誓う」「食事を良薬と考える」「この食事は、自分を完成させるためにいただくのだ」というのである。

わたくしは仏教徒ではないが、それでも「食事は、大自然の一部分を自分にお迎えする一つの厳粛なセレモニー」だと思う。自分以外の「腹の虫」までも、同じ立場であろう。埴谷雄高の『死霊』では、魚がイエスを糾弾したり、豆が釈迦を批判する。すでに調理したものを捨てるなど、もっての他(ほか)。


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