rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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誰も見ぬホームページをなぜ作るのか?
一言にいえば、自分自身が「生きている証明」なのである。
それでは、誰に証明をするのか。それも、自分自身に対する証明でよい。
つまり、自己満足というか心の安心立命のためなのである。
それは、あたかも日記帳のようなもの。
日記帳も、そんなに深く考えてつけるものでもない。気軽に記述する人が多いのではないか。
みっともないものでも、自分がよければそれでよい。当然のことであるが、インターネットにつながっているので、誰でも見れる。人が見ることよりも、私は自分自身のホームページ内をグーグルやヤフーで、瞬時に検索ができるので有りがたい。
私は、「見せない」とか「見るな」とは言わないが、「見てもレベルが低いので、面白くはないでしょう」とは言う。
なぜならば、ホームページは私自身の「生きている証明」であって、自己満足にすぎないから。
一言にいえば、自分自身が「生きている証明」なのである。
それでは、誰に証明をするのか。それも、自分自身に対する証明でよい。
つまり、自己満足というか心の安心立命のためなのである。
それは、あたかも日記帳のようなもの。
日記帳も、そんなに深く考えてつけるものでもない。気軽に記述する人が多いのではないか。
みっともないものでも、自分がよければそれでよい。当然のことであるが、インターネットにつながっているので、誰でも見れる。人が見ることよりも、私は自分自身のホームページ内をグーグルやヤフーで、瞬時に検索ができるので有りがたい。
私は、「見せない」とか「見るな」とは言わないが、「見てもレベルが低いので、面白くはないでしょう」とは言う。
なぜならば、ホームページは私自身の「生きている証明」であって、自己満足にすぎないから。
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