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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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はからいを捨て、恥を捨て、こころ安らか。


夏目漱石の『草枕』冒頭。
<山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。>

まったく、その通りだと私(rik)も考える。
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人体のフィードバックは効果抜群。


まだ学生だったころ、音楽をハイヒディリティ(HiFi)で聞くために作った真空管アンプ。回路に、ネガティヴ フィードバック(NFB)というのがあった。それは、出力から入力に戻す回路。何のことはない、スピーカの前部から初段のグリッドに数メガバイト程度の抵抗を用いて、電流の一部を帰還するだけの単純な理論だ。

そんな方法で、アンプ自体の性能や安定性が大いに増加することがわかった。つまり、出力の一部を入力に戻すことによって、いろいろなメリットが生じるのである。何となくホメオスタシスと似ている。

どうやら人体にも、そのような機能があるらしい。
いまテスト中で、まだ詳しいことはわからないが、確実に効果がある。いずれも人体が健康になったり、病気の予防をしたりするのである。
ガン予防、認知症などならない方法。


ふとしたきっかけから、ガン、認知症、アルツハイマー、高血圧、糖尿病などにならない方法を知って、すこし前から始めた。その結果、高血圧はすでに快癒し、糖尿病が改善しかかっている。

ただし、ガンだけは他の病状と異なって、この方法では治療ができなく、予防だけのようである。日々行っているとガンにはならないが、いったんガンになってしまうと、人体の不思議で対抗性がなくなってしまう。つまり、ガンをその病人の体の定常状態とみなして、抗体ができないらしい。

だからガンに対しては、あくまでなる前に予防として行わなければならない。その他の認知症、アルツハイマー、高血圧、糖尿病などは、かなり症状が進んだ後でも、何とか快癒するみたいである。安全・衛生的で、あまり費用もかからず確実な方法だから、改めてレポートをする予定です。
いろいろと問題もあり、病気の病気?


私(rik)がここで言う「病気の病気?」とは、「合併症」と「イルヘルス」のことである。医学的なことは知らないが、イルヘルスとは病気でも、そうかといって病気でもない状態。つまり、半病人である。最近になって、そんな状態の人が多いらしい。

また、最近になって気付いたことだが、「病気自体」も「別な病気」を次々と呼ぶらしい。つまり、悪い症状が増していく。単純な症状であったら誰でも同じであるが、合併症やイルヘルスの状態では、各人各様の複雑な病状になってしまう。いきおい、治りにくくなる。

骨折などの怪我や盲腸炎などの部分的な問題は、手術をすると問題なく治ることが多い。しかし、複雑化した合併症やイルヘルスの状態は、なかなか治りにくいので注意が必要。
ほどほどにすることがよく、こころ安(やす)らか。


若いころは「何事も完璧にしよう」などと考えて、努力をしたものだ。そして、そうならないときにはいつも葛藤を生じた。

考えてみれば、人間が万事を支配できるわけがないのである。したがって、思うようにはいかない。むしろ、そう思うとよいものができないのである。前にペルシャの絨毯(じゅうたん)には、一箇所の織りミスを残しておくという話を聞いたことがある。

人生も終盤戦になって、つくづく思うに完全な終末などできっこない。一箇所どころか、結果的にはミスのほうが多いみたいだ。そんな簡単なことが、若いころにはわかっていなかった。ほどほどにして、人生の終わりを向かえるほうが、こころが安らかであろう。

深入りをしてはいけない齢(よわい)になりぬ。


あれもやりたい、これもしたい、などと若いころは考えた。そして思いどおりに、何とか全部をやったもんだ。しかし、最近になって体力が続かない。すぐに、飽きてしまうのだ。だから、やってみると最初に考えたほどには、どうしても仕上がらない。つまり、思ったように完成しないのである。

しかし、考えてみると最初の「思い」がムリな要求であったことが多い。完成度や仕上がりに関して、欲が深いのかもしれない。思いと結果が異なると、かなりジレンマが残ってしまう。

古希に近くなると、もしかしたらすでに「深入りをしてはいけない齢」なのかもしれない。それは何となく、おのれの限界を知ってしまう年代だからかもしれないが、……。
いろいろと工夫をしても、ムリとムダあり。


人生には、いろいろと工夫をしてみても、後で振り返ると多くのムリとムダがあるようだ。そのときは、何となくうまくやったつもりでも、かなり後悔をすることがあるからだ。

そもそも、それが人生なのかもしれない。
そして、恥や悔恨が残ってしまう。それならば、いっそ工夫などをせずに、なるがまま、なすがままに生きたほうがよいのかもしれない。

ホームページについても、同じことが言える。
一所懸命になって作ったホームページではあるが、いま考えるとムリとムダが、かなりあったみたい。そして、それどころか意味のないことが、あまりにも多すぎるので愕然。
何とかならないものか。
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