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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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老いたらば、一人で遊ぶことが大切。


元来、ヒトの遺伝子は利己的に作られいるらしい。生存競争するためには、当然のことかもしれない。そんなわけで、ちょっと利害関係が異なると、もうダメ。情けない次第。よほど人間的に修養をした人でも、うまくいかないらしい。例えば、宗教の教祖や指導者でも、敵対した相手を皆殺しにしようとする。

旧約聖書の神が、同じ神であるのに「バールの神」を目の敵にするのを考えたらわかる。その下では、ユダヤ人が「ペリシテ人」に敵対した。また、新約聖書でも神の子が「パリサイ人」を嫌ったのは福音書の記述通り。さらに近年にまで引き続き、イスラエルが「パレスチナ」に敵対している。まさしく、サムソンとデリラの構図。

宗教の中でさえ、そのような次第。日本でも、似たような様子。自分自身で一つの宗教空間、つまり知的空間をもつほうが早いかも。
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ようつべの動画は、すべて玉石混交。


通称ようつべ、つまり「YouTube」を見る。すると、何万ヒットとうような動画がある。タイトルから興味をもって見ると、私(rik)にとっては、まったくつまらないものであったりする。

つまり、その内容は動画のヒット数には関係がなく、したがってヒット数が目安にならないときもある。そんなことが、最近になってわかってきた。

すばらしい動画もある中で、あまり意味のないものを見ないようにするには、どうしたらよいか。私は、最初の部分を見て、全体を判断するようにしている。30秒ほど見ると、全体を見るかどうかが何となくわかる。玉でなく石の場合は、停止をして次の動画を見る。そんなためにクイックリストを用いると便利である。しかし、途中でやめてもヒット数は上がるようだ。
新しいものは不要の齢(よわい)となりぬ。


若いころは、欲しいものばかり。何にでも興味があって、欲望がとても強かったみたい。しかし、古希にもなろうという時期になると、だいぶ違ってくる。たいがいのことは、手に負えないのである。

それは、気力が減少したかもしれないが、新しいものに対する興味が失われたためかもしれない。つまり、自分自身にとって新しいものとは何か?

いつしか、そんなことを考えるようになったためであろう。新しいと言っても、天下がひっくり返るようなことは少ない。多少の目移りの程度では、動じなくなったのである。
そんなわけで、あまり新しいものを欲しいとは思わない。それよりも、心の平安が強く望まれるのである。
グーグルのアースひもとき、ひねもす過ごす。


世界的に、ここのところ大流行のグーグルである。
今までは検索などに利用していたが、きょうグーグルのアースを始めてみた。しかし、その操作法がなかなか理解できない。チョロメというバーが、アースのインストールとともに出たが、それも使い方がわからないという有様。

また、先日からグーグルのソフト「YouTube」を始めたが、それもまだ全体がつかめないままである。どうも、全体の仕組みが複雑で、使いこなすためには、私の理解の範囲をかなり超えている知識が必要なようだ。

グーグルは話題になるように、非常に高度な技術をもっている。
しかし、その利用者には私のような魯鈍な人間や経験の少ない人もずいぶん多いだろう。もうすこし、わかりやすい使い方にして欲しいものだ。
ラップリンしてみて、尿の不思議さを知る。


もしかしたらラップリン(rapurine)は、私(rik)の造語かもしれない。
rapは、「舐める」。urineは、オシッコ。つまり、小匙三杯くらいのオシッコを舐めて味わうこと。しかし、舐めるのではなく、大量にdrink(飲む)してもかまわない。飲尿でなく、尿糖が出ている場合は、実際は甜尿(てんにょう)になる。「舐」は「シ」または「ジ」、「甜」は「テン」である。

ラップリンをすると、喉の奥にある器官が直ちにオシッコの成分を検知するそうだ。4000種類もの化学成分の識別をして、何が不足しているか、また何が過剰かなどを調べて、脳が即座に必要なフィードバックをするらしい。

そんなわけで、ラップリンをしている人は重病になったりすることもなく健康で一生を過ごせる。むろん、事故や怪我は避けられないが、ガンになったりすることはないという。
何事も、飽きる結果にならないように!


最初は、何事も情熱をもって始める。習い事をはじめとして、ホームページやプログなどもそうだ。

しかし、現実の問題として、訪問者がほとんどいない。だから、つい面倒くさくなる。自分の頭の中にあることをわざわざ文章としてまとめるのが、……。見る人がいないのであれば、自分自身の記録であるから面倒な文章にしなくてもよいのではないか?

そんなことを、つい考えてしまう。
でも、「見てくれなくてもよい」「自分自身のために整理をする場」、そして「考える場」、それがホームページだと思えばよい。そんな意味で私の場合は、絶対に飽きてしまってはいけないのである。つまり、自分自身の生きている証明だからである。
作られたものに入るか、独存するか?


組織や制度などの作られたものの中に、どっぷりと漬かるか。あるいは、なるべく束縛を避けて個人として存在するか。唯我独尊などとは言えないが、自分自身を孤立化するのも一つの生き方。つまり、できるだけ社会性のない日々を送る。

むろん、電車に乗ったり、デパートで買い物をする。しかし、できるかぎり煩わしい人間関係を避ける。つまり、それが現代の出家的生活である。山奥にこもったりしなくてもよい。なぜならば現代社会は山奥でも、やはりわずらわしい問題があるからである。

そうすると、ホームレスの人たちの生活はどうであろうか。かなり昔の仙人や出家者と似た心境にある生活が行われているようだ。そんな意味で、私も気楽な生活がしたい。
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