忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[224]  [225]  [226]  [227]  [228]  [229]  [230]  [231]  [232]  [233]  [234
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

河川浴、行く水を見て心和みぬ。


河川浴といっても、裸になって水に入るわけでない。また、宗教とも関係がなく、むろん洗礼でもない。ただ、山奥の上流から流れ出た川の畔(ほとり)にいて、川面の清冽な空気を深呼吸する。おそらくオゾンも含まれていて、あたかも森林浴などと同じ効果があると思う。

『方丈記』の冒頭にある
<行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。>
などという文章を思い出したりもする。

河川浴は、健康や老化予防にも大いに効果があるだろう。
PR
膀胱は加齢とともに小さくなるか?


歳をとると、オシッコが近くなる。個人差があるので一概には言えないが、ふつう膀胱の容量は成人で500ミリリットル。そして、250ミリリットルを超えるあたりから、膀胱の内圧が高くなって尿意をもよおす。

膀胱壁の筋肉は三層で、よく伸び縮みをする。しかし、歳をとってくるとオシッコを貯める容量が次第に少なくなってくるらしい。オシッコが近くなったり、ひどいときにはおもらしをしてしまう。

そうかといって、ちょっと尿意をもよおすごとにトイレに行くと、ますます近くなってしまうという。ある程度、我慢をして膀胱に貯める努力も必要であろう。いっぽうでは、ユダヤのラビによる教訓に「オシッコを我慢してはいけない。したくなったときは、すぐするように」というのがあったと思う。いったい、どちらがいいのだろうか。
大腸にいる細菌は百兆くらい。


私たち一人の大腸に寄生している細菌の数は、何と100種類で百兆もいるという。まったく、ものすごい数である。大腸は、小腸に続く消化管の最後の部分。上から盲腸・結腸・直腸と続き、長さは成人で1.5メートルくらい。そこでは消化酵素を作らないが、水分と電解質を吸収して糞便を作る。

大腸には、さまざまな細菌がいて、腸内で消化・吸収されなかったものの大部分を発酵・腐敗させてガスを発生する。そのようなものは人体に不要化とも思われるが、光岡知足氏は『腸内細菌の話』で、「有用な菌もあって栄養や感染防御に役立っている」と述べている。

さらに、「このヒトと細菌の関係は、生物の長い歴史のなかで互いに共存を前提として獲得しえた生存様式といえましょう」とも書いておられる。
何気なく鼻毛を抜くと、化膿の危険!


何となく、鼻がムズムズとすることがある。そこで、指でそこを弄(まさぐ)り、きゅっと掴(つか)んで鼻毛を抜く。ちょっと痛いが、瞬間のことである。抜いた後は、すっきりして気持ちがよい。

しかし、そのようなことを何回もすると、抜いた後に細菌が入ってしまって化膿することがあるのではないか。したがって、抜くのではなくて鋏で切ったほうが安全だ。それ専用で、先の丸くなった小型の鋏がある。

平賀源内の『風流志道軒伝』巻之一に「不偏不易の理を知らず、鼻毛を抜かないことから起こった大たわけなのじゃ。」というようなくだりがあるが、それはそれ、昔は昔、今は今。ついでながら、鼻毛ではないが耳の毛の話で、インドだったか、棒の先に付けた綿花を燃やして、その炎で毛を焼き切るというのがあったが、鼻には応用できないと思う。
いやしくも始めてみたり、ビールの研究。


ビールの研究といっても、科学的なことではない。つまり、ここでは価格のことである。私(rik)は飲兵衛だから、ほとんど毎日ビールを飲む。しかしすでに年金生活者なので、なるべく安く飲みたい。そこで、外食をするときのことを考えてみた。

(1) サントリービール工場……グラス三杯という制約。30分ほどの工場見学という条件があるが無料。分倍河原から無料送迎バスがある。

(2) 吉野家で中瓶……500ml=400円。しかし、ビールだけ注文というわけにはいかない。ふつう、豚丼370円とともに注文。合計770円。

(3) サイゼリアで中ジョッキー……435ml=390円。これは、半熟卵のミラノ風ドリア368円とともに注文。合計758円。
目に見える光のほかに不可視光線。


ヒトが感じる光は、太陽光線のごく一部分である。それを可視光線といって、波長が700ナノメートルから380ナノメートルの範囲。電界と磁界との変化が互いに作用して、波となって伝わるものを電磁波といい、電波・光・X線などがある。

つまり、電磁波は波長の長いほうから
(1) 電波
(2) 赤外線
(3) 可視光線(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)
(4) 紫外線
(5) X線
となっている。
そして、上記の(1)と(5)以外、つまり赤外線・可視光線・紫外線を光という。
聞きとれる音の範囲は限られている。


ヒトの聴覚は、ある範囲の周波数だけを聞きとることができる。音波情報は外耳で集められて、中耳の鼓膜を振動させる。その振動は、耳小骨という三個の小さな骨を伝わって、蝸牛穀に送られる。そこで、振動は神経刺激に変わり、神経繊維を通って大脳に送られ、音として感じる。

そのような精巧な耳ではあるが、周波数20ヘルツから20キロヘルツくらいの範囲しか聞けない。人間以外の動物、例えばコウモリは、さらに高い周波数の音を発信して、それを聞いたりしているらしい。洞窟の暗い中でも、互いに高い音による情報交換ができるので、ぶつからずに飛べる。

それはともかく、ヒトが互いの情報交換に聴覚を用いることは素晴らしいことだ。なぜならば、話し言葉は書き言葉に比べると、約10倍の情報量を伝達できるからである。
忍者ブログ [PR]