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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「もうダメだ」などと思わず「まだまだいける」。


高齢になると、つい自信がなくなって「もうダメだ」などと諦めてしまいがち。しかし、それではいけない。自分自身で可能性を投げ出したことになるからだ。そんなときは、「まだまだいける」と考えたらよい。

意外にも、自己暗示は大切。自分で「ダメだ」と思ったらダメであるが、「まだまだ」と考えたら相当なことができる。前向きな姿勢と積極性が、大きく働くのであろう。

思いついたことを私(rik)は、何でもやってみる。とくに、それを指向するわけではないが、自分自身の可能性を調べてみたいからだ。そんなわけで、小説を書いたり、絵や動画を作ったり、作曲を試みたりした。プロの作品に比べると、恥ずかしい内容のものではあるが、自分自身にとってはそれなりの意味や価値があるのではないだろうか。
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存在に気付かぬものやこともあり得る。


私たちが、その存在にまったく気付かないものや事がらも実際にはあり得るようだ。いわゆる常識とかけ離れた学問の分野などに多い。スティーブン=ホーキングの理論などは、そうかもしれない。

宇宙が11次元から構成されているとか、超ひも理論などもなかなか理解できないし、また天文学的な空間や時間のことは、考えても理解できない。つまり、自分自身が置かれている場所をかろうじて知っているに止まる。もっとも、それさえも危なげであるが、……

そして、生きている間のことをあれこれと詮索したり、思いわずらう。時間に対しては自分の一生の範囲でしか、考える対象にならない。死んだらどうなるのかなどは、まったく気にしていないのが普通。実際には、「気付かぬものやことがありうる」ということにも気付かぬ有様である。
ほんとうにあるのだろうか、平行宇宙。


いくつかの宇宙があって、私たちはそのすべてと繋がっているという考え方。日系アメリカ人の理論物理学者であるカク=ミチオ(加來紀雄)氏が言っているから、実際にあるのかもしれない。

そもそも、宇宙は『淮南子』(えなんじ)によれば、「宇」は天地四方を指し、「宙」は古往今来のこと。つまり、空間と時間の広がりを意味する。その意味では、いわゆる時空のことらしい。

ただ、凡人には平行宇宙のうちの一つだけしか意識できないというのでは、何ともわかりにくい。自分自身の意思があって、常に実際の身体という存在と関係している。その身体は、いくつもある次元の中の地球上のこの身体なのである。他の平行宇宙にもいくつかの身体があるのだが、それに関しては、ふつう意識をしていないという。私(rik)には、何ともわかりにくい論理である。
老いたらば、生玄米を食べて健康!


若いころは少々のムリをしても、何とかなった。しかし、老いてくるとムリが効かない。そこで、身体の調子に気をつけることが大切。とくに、食べものと生活習慣などには、細かい配慮をしなければならないと思う。

腸内の活性化のためには、玄米、それも生玄米がいいらしい。農薬の少ない玄米をコーヒーミルで挽いて、ゴマよりも小さい粒状にする。そして、それをそのまま食べる。すると、驚くほど大量の便が出て、身体の調子がよい。

私は牛乳を飲まないが、プレーンヨーグルトは食べる。なぜならば、菌が腸を活性化するから。蜂蜜やオリゴ糖などを混ぜて甘くしてもよいが、なるべく何も付けないで食べたほうがよい。カルシウムの補給には、小女子などもよいだろう。そして、夏みかんやレモン、キウイフルーツなどもデザートとしてとる。
生水と生玄米と生野菜など。


高齢になると、自分自身の身体の健康に留意しなければならない。そこで、今までの食べものと生活習慣が少々問題になるので、決心して改める。

飲み物については、ペットボトルやコーヒー・お茶などを控えめにして、今後は生水にする。生水は、天然の地下水から農薬や化学薬品などをハーレーで濾過したものを用いる。外食のときは、天然水が95パーセント含まれているサントリーモルツの中瓶をなるべく利用してみよう。
食べものについては、腸内細菌に好ましい玄米、それもなるべく生で食べる。農薬の少ない玄米を仕入れ、コーヒーミルで一回ごとに挽く。それをゆっくりと味わって食べると、とてもおいしいし健康にも抜群。それに生野菜は、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』ように少々。

生活習慣については、晴れた日になるべく歩くようにする。私は、近場の多摩川沿いの散歩が大好きだ。
ただ一人、宇宙に置かれたような心地。


なぜだろうか? 最近になって、何となく孤独感が増してきたみたいで、心細い。大げさにいうと、宇宙の中に自分がただよっているような感じ。決してそんなわけではないだろうが、何となく孤独感は否めない。

もしかしたら、もうじき自分自身が宇宙の中に還っていくのだろうか。つまり、死んで焼かれて、灰になってしまうことを暗示しているのかもしれない。

人間は死んだら脳も焼かれてしまうので、もはや思考することはできないという。そう言われてみると、そうかもしれない。しかし、私たちの考えている脳のほかにも知覚をする部分があったとしたら、どうであろうか。脳の機能が心臓にあると信じていた時代もあったのだから、さらに科学が進むと驚くことがわかるかもしれない。と、私(rik)は思う。
友もなく、金なく、地位もなくて安らか。


負け惜しみではない。親しかった友たちは、最近になって次々と死んでしまった。また、金や地位がないのは、満足な仕事を日々しなかったためであろう。そんなわけで、私はいわゆる三無斉である。

江戸中期の経世家、林子平(はやししへい 1738~1793)は、
<親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し>
と歌って、六無斎(ろくむさい)と称した。

板木は印刷に使うものと思われるが、それがないと出版できないという意味らしい。むろん、金がないので板木を買うこともできない。そして、最後の「死にたくもなし」は彼自身の本音とも思われる。つまり、生きていれば「まだ、チャンスが来るんじゃないか」と、考えているのではないか。
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