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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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心配が身に迫り来る「認認介護」。


認認介護」という言葉をご存知だろうか? 認知症が、認知症の人を介護している実態を言うそうである。つまり、子どもと同居をしていない老いた老夫婦だけの家庭で起こる現実。高齢化社会になるにつれ、現実は厳しくなってくるようだ。互いに認知症なので、介護するほうと介護されるほうの間でトラブルが起こったりする。ひどいのは攻撃性が出て、相手を虐待したりする。

また、「介護難民」という言葉もある。症状が悪化しても、入院先などの行き先がない。なんともやり切れない現実が、確実に忍び寄ってくる。

できることは、認知症やアルツハイマー病にならない工夫をすることである。そんな意味で、傾向がわかっていたので、私たちは還暦になった十年くらい前から対策をたててはいるのだが、……。
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「死と乙女」、何度聞いても飽きない調べ。


私の大好きな曲の一つ。シューベルトの弦楽四重奏曲である。激しさの中にも落ち着き。「死と乙女」の意味は知らないが、おそらくメメント・モリのような内容であろう。死とうら若い乙女が、問答をするのじゃないだろうか。

それはともかく、音楽は素晴らしい。とくに歌曲を変奏曲にした楽章は、私の胸に哀愁をかきたてる。音楽や美術には、あまり意味合いを求めないのであるが、それでも自分なりに思うことが次々に生じる。

そんな音楽であるので、YouTubeから再生リストを作って、ときどき聞いている。そして、聞くたびに新たな感情の発見があるので驚いてしまう。つまり、自分自身の知的空間を助成してくれる楽曲の一つでもあるようだ。
「学問は貧乏人の何とか」という。


立川談志の落語を聞いた。枕だけのものと「やかん」という根問いである。私(rik)は、日々の生活に笑いが必要だと考える。落語は、笑いへの近道ではないでしょうか。

それはともかく、談志は話題が豊富で面白い。「クジラが魚」というところは、プリニウスがクジラを魚に分類していたことを思い出す。また、「キリンの首がなぜ長い」かでは、当時の学会から相手にされなかったラマルクの学説を思い出す。もしかしたら、ラマルクでなかったかもしれないが。さらに、「地球が平ら」というくだりでは、今もってアメリカに「地球はひらべったい協会」という団体があるという事実。

話題の間にも、「電車の中で、女がべたべたと化粧しているのは実に見苦しい」などとも言う。談志が、あまり笑わないのも素晴らしい。「月が昇ると日は沈む」というところでも、菜の花の俳句などは出てこなかった。その代わり、最後に字幕で、「学問は貧乏人の暇つぶし」と出た。


ゴマかされないようにして、黒ゴマを買え。


ゴマは「胡麻」と書いて、ゴマ科の一年草。1メートルくらいになって、夏に白い鐘状の花をつける。果実は円柱状で、中に多数の種子がある。エジプト原産で、黒ゴマ・白ゴマ・金ゴマなどがある。

それぞれのゴマには、違いがある。ふつう黒ゴマを食用とするが、中には安い油用の白ゴマを着色して黒く見せかけたものなどがある。それは香りか少なく、ちょっとべとべととしている。

黒ゴマを買うときは、すでに炒(い)ったものを買うことが多い。本当は生ゴマのほうが、そのまま食べるときは栄養価が高いだろう。生ゴマを擂(す)って食べるのが好ましい。いずれにしても、黒ゴマを買うときには注意をして、原産地などを確かめなければいけません。

マロニエが散り、カイコウズ紅い花咲く。


聖蹟桜ヶ丘駅周辺、川崎街道のマロニエの並木、いっせいに赤い花を付けたが、すでに散ってしまった。そして、あいおい損保の前にあるカイコウズが紅い花をつけ始めた。毎年のことである。

マロニエは、フランス語の「marronnier」であるがトチノキ科の落葉高木。和名で「ベニバナトチノキ」という。葉が大きく、数枚の倒卵形で掌(てのひら)状。初夏、赤みがかった花を円錐状に咲かせる。バルカン半島の原産という。

カイコウズは、「海紅豆」と書きマメ科の木。アメリカデイゴともいい、ブラジル原産であるが、江戸末期に渡来したらしい。もしかしたら、ナンバンアカアズキのほうかもしれない。梅雨のころ以後から八月頃まで、枝先のような部分に深紅色の花をつける。いずれにしても、冬に藁を巻かれるので、私たちは「龍神の木」などと冗談に言っている。
梅雨入りしうあんごする日、いく日かあり。


関東地方も梅雨入りをしたみたい。何となく湿度が高く、雨模様である。そんな日は、大好きな川沿いの散歩に行けない。仕方なく、部屋にいて何かをする。それを私は、数十年前からうあんごと呼んでいる。

正しい呼び名ではないから、私の場合は一日だけでもうあんごである。そんな日は、たいがい今までにスクラップをした健康・老化予防・安心立命関係の資料を見直す。そして、改めて考え直すのである。

今までに考えても、わからなかったことが多い。そんなことが、ふっと自分なりに理解できたりする。つまり、自問自答などを繰り返すうちに、おそらく本来の回答であるようなことを見出す。そんなことが、梅雨の季節のうあんごの楽しみでもある。
ボケ防止、脳に対する入出力。


いつまでも若々しく、ボケたりアルツハイマー病になったりしないことの対策の一つは、日々かなりの脳に対するインプットとアウトプットが必要ということ。つまり、ある程度の刺激を脳に与えてやるのがよい。

もちろん、空気・水・食べ物に関する注意が必要である。しかし、気持ちのあり方も大切らしい。気のもちようで、病気にもなってしまう。明るく物事を考え、いろいろなことに興味をもって、知識を求めたり、その知識を応用したりすることが重要。気持ちのもちかたの大切さは、ウルマンの『青春』という詩にもあったと思う。

そんな意味で、下手であっても自分で小説を書いたり、自分で絵や写真などの美術作品をものしたり、あるいは自ら音楽などを作るのがよいだろう。そんなことが、実際にわかってきた。
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