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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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残された掩蔽壕と高射砲後。


関東村、つまり調布飛行場の中に今でも掩蔽壕(えんぺいごう)が残されている。戦時中にゼロ戦を隠して待機させたという。半円形のセメントで固めた臨時格納庫のような粗末なものだ。
また、三鷹市の大沢には高射砲を据えた小高い場所が残っている。もっとも、そこからでは上空を行くB29まで弾が届かなかったらしい。しかし、当時はそれなりに応急対策されたらしい。

三鷹や調布には、中島飛行機の工場があったので、とくに防備には重点が置かれた。しかし、いま思うと、当時のアメリカの戦力と比べて、まったく小規模なものであった。

そんな時期に、三鷹市深大寺から武蔵野市グリーンパークの工場まで、地下トンネルなども掘られたのではないか。また、そのころアメリカの本土上陸にそなえて、国民が竹槍を削っていたことなどを考えると、まったく哀れで滑稽でもあり、愚かでもあったのではないか。
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身の回り、ぼつぼつ整理して、安らかに。


身の回りにゴタゴタと多くの物があると、気持ちが落ち着かない。物に支配をされてしまうからであろう。いろいろなものをため込んでも、いざというときに利用ができないことが多いようだ。

つまり、どちらかというと身の回りをすっきりとしておいたほうが、心が安らかなのではないか。あまりにも、たくさんものを持っていると、気が散ってしまうかもしれない。

そんな意味で、「吾ただ足るを知る」という振り出しに戻る。
それは、老子やマルクス=アウレリウスなどが、すでに言っていることではあるが、なぜか現代社会では実行する人が少ないようだ。
その結果、際限なく不安が増していくのである。
あなたは、いかがであろうか。
ふらふらとすることもあり、息苦しくて。


「ふらふらする」ということは、ふつう脳震盪の初期症状らしい。また、自律神経が失調しているときなども、そうなることが多いようだ。
「息苦しい」のは、おそらく心臓が弱っているためであろう。とくに、呼吸器系が故障したわけではないらしい。

そして、上の二つの症状が同時に起こるのは、珍しいのではないか。いずれにしても、身体が失調していることには変わりない。

もしかしたら、「息苦しさ」などは大いに精神的な症状かもしれない。何となく、健康に自信がなくなり始めたころから、歩いていて何かの拍子にふらふらとしたり、また息苦しくなるようなことが起こるようになった。
あるいは、加齢が原因かもしれないが、……。
何ゆえにおそい来たるか? 身体(からだ)の不安。


ここのところ、あまり体調がよくない。そのためだろうか、身体(からだ)のあちこちに不具合と不安が生じる。

目が見えなくなっちゃうんじゃないだろうか?
歩けなくなるんじゃないだろうか?
痴呆症になりそうな気配があるんだが、……
などなど、心配すればキリがない。
若かったときには、そんなことを考えたことがなかった。
一昨年の入院・手術、その後かなり長期間の通院、そんなために自信がなくなってしまった。また、還暦をとっくに過ぎ、ぼつぼつ古希。

そんなことも含めて、加齢のためかとも考えざるをえない。
あなたは、いかがであろうか。
同じこと、異なる箇所に何回も書く?


まったく仕方のないことである。ふつう、一冊の本であれば、それは恥ずかしいこと。くどくどと煩わしいし、第一紙幅のムダ遣い。著者の能力を疑われてしまう。

しかし、ホームページではどうであろうか。大きくなると、どこに何が書いてあるかを作者自身が忘れてしまう。とくに、私のように記憶力があまりよくない場合には。

そこで、つい同じことを書く。もしも、読んでくださる人がいたら、書いている人の能力をさげすむであろう。でも、老化予防という目的を考えると、あながちムダとは思えない。なぜならば、度忘れやボケを防止する最適な方法でもあるから。もっとも、朝飯を食べたのを忘れて、もう一度食べようとする愚かさを考えると、それと似た心配なことでもある。
恍惚の人に、なりたくなくて対策。


何としてでも、恍惚の人には、なりたくない。ここのところ、度忘れやボケが始まったみたいなので、要注意。もっとも、自分がなったら、自分では症状がわからにらしい。つまり、回りの者から見ると行動が異常なのであって、本人はいたって真面目。だから、憤慨をしたり、怒ったりする。それが、また哀れなことである。

そこで、まだ正常なうちに、予防をしなければならない。かつての受験雑誌「傾向と対策」ではないが、傾向が見られたら、対策が必要なのである。そこで、対策をいろいろと考える。

すると、脳の活性化が予防対策としてよいことがわかる。
つまり、文章を書いたり、絵を描く、音楽を作ったりすることがよい。いずれも、優れたものを作らなくてもいい。それなら、私(rik)にもできる。
政木氏の言う現象を垣間見て知る。


たまたま健康関係のホームページから入手をした政木和三氏の講演CDを繰り返し、何回も聞いた。前に三橋伝三郎さんから紹介いただいた政木氏の『この世に不可能はない』という本を読んで、まったく素晴らしい人と思っていたので、そのCDの内容についても大いに感激をした。

実は、私も政木氏の講演に述べられた経験をしたことがある。私には、あまり学問がないので、そのとき実際に自分がシータ波の状態にあったかどうかはわからない。それでも、何となく政木氏が言う脳波になって「一秒が300年くらいに相当する」という理論を脳に感じて体験をしたのであろう。

それは、入院をしていたときに時計の分針が実際に動いているように見えたこと。そして、ふと空間や時間などは絶対的なことではなく、概念や意識でしかないと、生まれて初めて感じたことである。
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