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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ガラクタを集めて楽し、ホームページに。


よくゴミなどをため込んだ人のことをテレビでやったりする。部屋中いっぱいになったゴミの山で、身動きがとれない。
あるいは、部屋ばかりではない。敷地全体に廃品が置いてある。出入り口も満足に使えず、窓から出たり入ったりする。

そんなことを見て、バカなことだと思う。しかし、実際にそうであろうか。自分自身が、それとまったく同じことをしているから。

私のところには、実際に品物や廃品が身動きのできないほどあるわけではない。でも、それと同じことなのである。

実は、『青空のホームページ』の中。そこには、実に下らないものがゴタゴタといっぱいだ。何とかしなければならない。テレビでやっていた「おそうじ隊」のような人がいたらいいとも思うのだが、……

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400と300くらいが、見やすい画像。


ホームページには、デジカメで撮った画像を張り付ける。
「百聞は一見に如(し)かず」などというが、くどくどと説明をするよりも、画像のほうがわかりやすい。

しかし、その画像である。
あまり小さくしてしまうと、かえってわかりにくいようだ。
そうかといって、大きくするとロードに時間がかかったり、メモリも大幅に使用してしまう。その辺が、むずかしいところ。

そこで、私は400ピクセル×300ピクセルくらいの画像を用いる。
それでも、かなり大きいのであるが、何となくわかりやすい大きさである。
しかし、説明の文書などは画像上に文字が書いてある。したがって、その大きさでは読めない。そんなときは、もっと大きくする。読めなければ、仕方ないからだ。
できるだけシンプルな日々、至福の至り。


「方丈の館」に住んだという鴨長明。
晩年は、「シンプル・ライフ」に徹した永井荷風。
そんな人たちの心情が、私にも何となくわかる。

生活の場に品物があふれては、煩わしいばかり。少ないものを活用するのがよい。あまり物を持ちすぎると、物に捕らわれた生活になってしまう。

むしろ、品や物によらず、豊かさは心の中の問題であろう。
心が豊かであれば、それでよい。と、私も思う。

ぼつぼつ古希である。品物を持とうという欲望は薄らいだが、まだまだ知識や興味に対する貪欲さは消えないようだ。
何とか、生活を改めていきたい。
ありがたいことだ! 自分がここにあること。


仏教の「人身受けがたし」ではないが、私は「自分自身がある」ことを不思議に思うとともに、つくづくありがたいことと思う。

まさしく、「在り難い」ことなのである。
だから、日々を大切にして有意義に過ごしたいと考える。

今さら自分があることの確率などを考えてもしかたがない。また、過去のことや未来のことをあれこれと考えてもしかたがない。

ただただ現在の一点で、あるがままにあるのがよいのではないか。
周囲のことに捕らわれずに、自分自身の置かれた位置を知って、少しでもよい状態になるように努力をしていけば、それでよい。人生などとことさらに言ってみても、始まらないのである。
老いたらば知識を生かし、一人で遊ぶ。


知識というほどのことではないかもしれない。
それまでの経験や知っていることの範囲で、いろいろと面白い工夫や楽しい再発見ができる。そして、そんな一つの方法が「プチさん」(プティ散策)。

駅周辺のとても小さな散歩である。そんな簡単なことでも、やってみると、あまり危険もなくて、なかなか楽しい。さらに、健康にもよいようだ。

デジカメがあれば、楽しみが倍増できる。なぜならば、臭化銀などの感光乳剤を用いた今までの鉛銀フィルムとは異なって、パソコン内での加工が容易であるし、気に入らない画像は削除をしてしまえばよいからである。

そんな「プチさん(プティ散策)の見本」は、『青空のホームページ』にある「美術エクジビション」をご覧いただきたい。

「おばあちゃん、くさい」と言われ、ショックかくせず。


久々に、唐木田の福祉センターに行ってみた。
そしてMさんから、相談を受けた次第。

Mさんは、だいぶ前にご主人を亡くされ、子ども夫婦と同居をしている未亡人。還暦を過ぎたというのに、小ぎれいにしていて、若いころの面影をいまだに残している。

そのMさんが、愚痴を言って私にこぼす。
娘さんの子ども、つまり孫から「おばあちゃん、くさい」と言われたそうだ。そこで、どうしたらよいかの相談。

還暦を過ぎたころから、どうしても口臭・体臭・加齢臭などが気になってくる。身体(からだ)が衰えたり、新陳代謝が弱くなるのでいたしかたない。それでも、何とか目立たないように隠す方法があることはある。
そんな説明をいくつか具体的にしたら、納得されたようだ。


もう一度会ってもみたい、なつかしい人。


過ぎ去った日々のなつかしい思い出が、今でも残っている人がいる。そして、何となく会ってみたい気持ちに駆り立てられる。
しかし、消息を調べてみるとすでに亡くなっていたり、よいよいになって寝たきりの人も多い。さらに、アルツハイマーになっちゃった人もいるようだ。

また、会ってみたら驚いたことに、すっかり変ってしまった人がいた。社会でいろいろと苦労をしたせいであろうか、何となくギスギスとしているのである。そして、話題がほとんど通じなくなっているのだ。
「集まり参じて、人は変れど」どころではない。

むしろ、会わなかったほうがよかった人もいる。
過去のなつかしい思い出をわざわざ壊すために、会ったような形になってしまうことがあると、何とも残念でたまらない。
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