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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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申告の季節になりて、忙(せわ)しくもあり。


今年もまた、確定申告の季節になった。
自分自身の申告書と妻の申告書との二通を作らなければならない。

私は年金生活者になってから、わずか数千円ではあるが支払った税金が戻る。いっぽう、妻のほうは三箇所の合算所得である。それぞれの額は小さいが申告手続きをしないと、おそらく「お尋ね」が来てしまうだろう。

そんなわけで、面倒でも毎年必ずしている。
今年も、ぼつぼつ書類を作成しなければならない。

額の少ない多いは、私にとって問題でない。また、法人のときのように義務であるからするという気持ちでもない。むしろ、ボケ防止によいだろう。また、電子申告などをせずに日野税務署まで出向いて申告・納税をする。そして、帰りは秋川・程久保川・多摩川沿いに歩いて帰る。

気持ちの急(せ)く後のそんな楽しみも、あるんじゃないか。
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はやるまで大変だった、小ざさの最中(もなか)。


吉祥寺に小ざさ(おざさ)という羊羹(ようかん)や最中(もなか)を売っている小さな店がある。昭和30年代には、まったく売れなくて困っていた。

私は、そのころいつもお遣(つか)い物に最中を利用した。電話をかけて、むらさき橋の自宅兼工場に行くと、包装紙を巻いて作っておいてくれた。

伊神旦(いがみあきら)さんが中学の同級生で、親しくしていたからだ。そのころは、まだ彼の父親が経営をしていた。遊びに行くと、工場であんこを練っているので、ちょっと待って欲しいなどと母上が出てきて言われたことがある。

その後、テレビで紹介されてから、流行(はや)るようになった。
昔から同じ工程で、同じ品質の味を作っているのだが、売れ行きの伸びは不思議なものである。

こつこつと見直しており、写真や文章。


はじめは勢いにまかせて、じゃんじゃんと作った『青空のホームページ』。
しかし、今になって考えてみると、何ともお恥ずかしい内容のもの。したがって、見直しや修正をしなければならない。

そんなわけで、全体のページを少しずつ見ている。
しかし、である。

その作業自体が、なぜかなかなか進まない。あまり気が進まないのだ。
やっているうちに恥ずかしくて、いやになってしまうのである。

そんなことを言えば、今までの人生自体が何ともお粗末な、みっともない内容のものであった。そしてそれは、もはや修正ができない時期になっているのであろう。
あきらめてしまうのが、手っ取り早いような気もする。
注意して三種の神器、揃えておこう!


健康に関する「三種の神器」というのがある。
それは、

ヘルスメーター
血圧計
尿試験紙

ヘルスメーターは、ふつうの体重計。
血圧計は、腕を通して計る形式のもの。
そして、尿試験紙は尿糖が出ているかどうかを調べる試験紙。

そのようなものを揃えておいて、自分自身の身体の基本的な状態をいつも知っておく必要がある。そんなわけで、「三種の神器を備えよう!」。


過不足のない生活に、幸せがあり。


物がなければ不便である。また、反対に余るほどあっても、何となく煩わしい。ちょうどよいのが、自分自身にはいちばんよい。

ものを蒐集することに、情熱をかたむける人がいる。
また、ふつう金を際限なく貯めようとするみたい。

しかし、ものが増えると整理をするだけでも大変だろう。
また、金があれば周囲に気兼ねをする必要がある。

「知足」という言葉があるように、「足るを知る」ことも必要なのではないか。
そうは言っても、私の場合、物や金には過不足ないが、どうも知識に関してはダメらしい。過不足のない知識で生きていくのがよいということは、自分なりにわかっているのだが、……。
知足とは日々の幸せ、生きる喜び。


老子だったろうか。
「それが少しでも、満足をすれば至福。しかし、いくらあっても不足と思うならば不幸」。そんな記述が、『道徳経』の中にあったと思う。

同じことをローマ皇帝マルクス=アウレリウスが言っている。『自省録』の中である。


京都の有名な寺の蹲(つくばい)に、ちょっと変わったデザインで書かれた文字がある。これは、はっきりと覚えている。
「口」という字のまわりに「五」「隹」「止」「矢」を配置してある。
「吾唯足るを知る(われただたるをしる)」と読む。
水戸光圀の発案ともいう。
富士山がくっきり見える、冬の晴れた日。


冬の晴れた日には、富士山がくっきり見える。
とくに、風が冷たく身を刺すような日には、鮮やかある。雲がまったくなく、裾野まで真っ白で清々しい。

また、晴れた日にはデジカメ写真の写りがよい。
青空をバックにした風景などは、思ったよりも素晴らしい仕上がりになる。焦点距離などを合わせなくとも、ピンボケになることは少ない。

デジカメ写真機は、私にとって貴重なツール。
人物や風景以外にも、説明文なども撮ってしまう。すると、部屋に戻ってから、ゆっくりと読み直すことができる。
寒い中を出かけて、いろいろと撮影してきたものをペイントショップなどで、編集をするのも楽しい。

そんなわけで、冬の晴れた日には寒くても出かける。



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