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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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もう一度行ってもみたい、なつかしい場所。


かつて行った場所で、何となくなつかしい思いがして、もう一度行ってみたいと思うことがある。

私は、小学校に上がる前に鎌倉の扇ガ谷に住んでいた。そしてその谷戸の突き当りが海蔵寺。横から山のほうへ抜けると化粧坂(けわいざか)、さらに銭洗い弁天を抜けて源氏山であった。旧大仏切り通しを抜けて、長谷寺で遊んだこともしばしば。入場料などが、なかった時代だ。

しかし、それならば一日がかりで行くことができる。
もっとなつかしい場所があるが、それがどこかがわからない。もしかしたら、探してもすでにその場所はなくなっているかもしれない。自分自身の原風景やデジャビュ(既視感)なども、意味がわからないままに気がかりである。

つきつめて考えると、母の胎内などに行き着いてしまうのではないか。
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鳥肌が立つほどすごい、「キリストの棺」。


2008年2月24日(日曜日)、ディスカバリーチャンネルで「キリストの棺」というドキュメント番組を見た。このチャネルは、ナショナルジオグラフィックチャンネルとともに、私の大好きな番組。

たまたま見ていたら、「キリストの棺」ではないか。途中からであったが、最後まで引きずられて見た。思わず鳥肌が立つほど、興奮をした箇所があった。

私も、学生時代から考えたことではあるが、すべてが直感による想像なのである。いわゆる学問でもないし、裏づけがないから仮説とも言えない。
私の単なるフィクションの類でしかなかった考えを裏付ける科学が、次々と出てくるのがうれしい。ミトコンドリアのDNA検証などは、十分に説得力がある。

高校生のころからずっと考えていたのは、番組とちょっと異なるが、イエスの妻が「マリハム」であったこと、そしてイエスの兄弟が女であったことである。
溶け込んで生かされており、宇宙の中に。


私は、いま『般若心経』を研究している。まだ、その途中であるが。
しかし、何となくわかってきたことがある。それを「私の「般若心経」入門」にまとめていきたい。そんなことを考えている。

「宇宙」という言葉は、わかりにくいかもしれない。しかしもっと別な言葉で、私はそれを「空」と考えている。もともと、「宇宙」という言葉は、『淮南子』(えなんじ)によれば、「宇が三次元空間」、「宙が時間」のそれぞれの広がりを意味しているのではないか。

『般若心経』のほうは、自分自身で納得できる解釈を考えているが、なかなか難しい。「新約聖書」のときよりも、近づきがたい感じ。
最初のほうにある「舎利子。」という三文字についても、まだ何のことかわからない。架空の存在である観世音が実在の人物シャリープトラに話しかける意味である。
柳沢桂子氏は「お聞きなさい」と訳していたが、私はむしろ「皆さん!」という不特定多数に話しかけている言葉だと思う。
認知症、今日は他人(ひと)の身、明日(あす)はわが身?


正直な話。
ここのところ「物忘れ」「度忘れ」が、だいぶ多くなったみたい。
また、人の名前や物の名称が思い出せなく、なかなか出てこないことがある。
そのようなことは、今までになかったことだ。
ただ、加齢による単なる衰えや、一時的な変化に過ぎないのかもしれない。

でも、次第に症状が進んで本当の認知症になってしまった人が、知り合いの中に多くいるのも事実。

「同じことを何度も言ったり、聞いたりする」程度では認知症ではないだろうが、「以前にあった興味が失われてしまう」と、何となく認知症の兆(きざ)し。
また、「置き忘れ」「しまい忘れ」などのような物忘れ、つまり「百舌の速贄」が頻繁に生じると要注意。
プチさん(プティ散策)で、プチ発見のよろこびを知る。


日々プチさん(プティ散策)をすると、思いもかけない発見がある。
それは、あまり大きなことではないかもしれない。

しかし、何とも楽しいではないか。発見と言ったら大げさかもしれない。むしろ、再発見の楽しみとでも言ったほうがよいのではないか。今までに、あまり気付かなかったことにも、注意が向くようになる。

つまり、物に対する見方が変ってくるのであろう。
また、以前のように覚えをいちいちメモに取る必要がない。説明文や場所の表示などは、そのままデジカメで撮ってしまう。

ちょうど、交通の取締りをしている婦人警官が、証拠として違反車両やその場所をデジカメで撮っているように、自分自身の覚えになるのである。
野暮ったい色とデザイン、仕方がないか?


青空のホームページ』とそれに付帯するこの『青空の新句(十九音)ブログ』、いずれも垢抜けのしない素人風のデザイン。

もっと、格好よくできないのか。そんなことを言われることがある。
まぁ、やってみればできないことはないだろう。と、私は思う。

しかし、あまりセンスがないことも自覚をしている。
そんなわけで、私は高望みをしないんだ。

デザインだけでなく、ホームページのハイパーリンクなども面倒なのでいちいちしない。仕方がないので、最初の目録の部分をリバースしてコピー。そして、それをメニューバーの検索に張り付ける。そんな方法になっても、いちいち付けるよりも手数がかからないので楽ちん。

それでは、ちょっと横着なのだろうか。
自福書と回創法を広めていこう!


「自福書」は「自己福音書」の略。そして、「回創法」は「回想創造法」の略である。いずれも、大いに期待ができる内容と思う。
いうなれば自己福音書は、心の「安心立命」のため。そして、回想創造法は身体(からだ)の「老化予防」のため。そんな思いで、それぞれ開発をした。

まず、右のリンク集にある「回創法・自福書デモ」をご覧いただきたい。
簡単な「回想創造法」と「自己福音書」のモデルを作ってみた。私の場合であるが、皆さんはそれぞれご自分のケースに作り上げてほしい。

人生において、まず「健康」が必要でしょう。そして、いつまでも若々しいために「老化予防」、さらに老いてくると「安心立命」を確立したいと思うからです。

あなたも、そう思いませんか?

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