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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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体調がよくない日々は、静かに休む。


かつてはあまりなかったことだけれど、ここのところ体調がよくないときがある。そして、そんな日が何日か続いてしまう。しかたがないので、部屋で静かに休んで、自然回復を待つ。

通院・入院、そして手術をしてから、身体のペースが狂ってしまった。手術の結果そのものは大成功であったが、副産物のような症状が残ったみたい。

それが原因かどうかわからないが、血糖値が高くなったり、血圧が上がったりする。もしかしたら、それらは老化による現象かもしれない。

何とか治したいと考えて通院をしてみたが、結果はさっぱり。よくならないばかりか、次第に薬の副作用が出たり、体調が悪化をしてしまう。
もはや、ホメオスタシスがダメになってしまったのだろうか。
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雨の日は、メンテナンスを終日(ひねもす)したり。


今日は朝から雨が降って、出かけられない。そこで、部屋にこもってパソコン二台のメンテナンスなどをする。かねてから考えていた次のようなこと。

(1) 下の(2)を含む一連のウインドウズのアップデート。
(2) インターネットエクスプローラを7にバージョンアップ。
(3) ハードディスク内の整理とバックアップ。

ここで、(3)は自分の責任で何とでもできるが、(1)(2)は契約に「同意する」必要がある。小さい字で細かく書いてあるので、面倒なのでざっと見るだけ。

やってみると、(2)はずいぶんと時間がかかる。ハードディスク全域の悪質なウイルスなどのガベージコレクションやチェックをしているようだ。何となく、泥棒と警官が追いかけごっこをしているみたい。つまり、泥縄(どろなわ)式。

健康と同じで、神経質になって細かいところまでをいじり出すと、キリがない。自分の責任でできることは、ほどほどにしておこう。
はかどらぬホームページの修正作業。


はじめは「健康」と「老化予防」、そして「安心立命」などを追求しようとして、市のサークル仲間たちで計画して立ち上げたホームページ。しかし、間もなく会長の物故などがあって、その後は進捗がはかばかしくない。

ホームページの内容も、原稿の段階のままに残ってしまった部分が多い。
そんなことを愚痴ったり、ここで言い訳しようと考えているのではない。

言いたいことは、「手がけることは簡単であっても、仕上げることは難しいということがつくづくとわかった」ということ。つまり、「気力の維持の問題」になってくるのであろう。

ちょうど、大洋に航海に乗り出した船が幽霊船になったようなもの。もはや、船長がいないから、しっかりとした目的地がわからない。




「寺の名が駅名である」ときは、プチさん。


駅名が、寺院の名のときがある。
例えば、吉祥寺。また、豪徳寺。そして、永福町。さらには、国分寺。
似ている駅名に、八王子(はちおうじ)や王子(おうじ)。

しかし、八王子や王子は四天王寺や東寺と音が似ているが、明らかに違う。また、国分寺は「元国分寺」や「元国分尼寺」といったところ。

そこで、吉祥寺。そこにはなぜか吉祥寺という寺がない。月窓寺(がっそうじ)くらいがそうであるかと思ったが、まったく関係がない。なぜだろうか。おそらく、江戸にあった吉祥寺が火事のときに疎開をした人たちが、その寺号を使ったのであろう。

永福町や西永福は、永福寺が駅名の由来。「寺」が駅名では、「町」になっている。現在は「永福○丁目」という地番で、「永福町」ではない。
したがって、本命は「豪徳寺」タイプ。今後、そのようなところをプチさん(プティ散策)してみたい。

落雁のなつかしき味、さがしてみたり。


落雁(らくがん)という菓子がある。
もともと、落雁とは池や沼に降りてくる雁(がん)のこと。それが、米や麦、その他の穀物の実などを粉にして甘味を加え、煎(い)り固めた干菓子(ほしがし)の名になった。パサパサ・もぐもぐはするが、何となく素朴でなつかしい味がする。

隣のOPAに、駄菓子の大きな専門店ができた。店中を、探してみたがない。そこで、若い女性の店員に聞いてみた。

すると、落雁という言葉も知らない。
もはや、そのような製品はなくなってしまったのであろうか。
思うに、何となく物のなかった貧しい時代の菓子まがいのもののような感じもする駄菓子である。

知ることのよろこびを知る、日々の幸せ。


何が何だかわからないのが、私たちの人生である。
納得をしていたことにも、裏があったりする。さらに、裏の裏。まったくわからないのが、現実である。

学問や常識も、いつくつがえされるかわからない。
とくに、人間の評価などは不安定なもの。価値観さえが大きく変転していく時代であるから、むしろそれが当然のことかもしれない。

戦前の考え方と戦後のそれを比べれば、よくわかる。よくもこれほど変るものかと、驚いてしまう。つまり、誰もがコロリと変化をしてしまうのだ。そして、「一億総懺悔」などと言ったりする。

少なくとも正しく知って、自分自身の中では納得のいくようにしたい。直感や本能もはたらかせて、自分なりの発見をする。そんなことが、日々の幸せではないか。


たのしみは、デジカメで撮る写真の写真。


だいぶ前に、スキャナーをやめてしまった。
そこで、たいがいのものはデジカメで撮ってしまう。とくに、古い写真などがそうである。写真を写真で撮るのであるが、それでもそれなりに仕上がる。

まだデジカメのなかった時代の写真を使うために写すことが多い。むろん、ネガなども探せばあるだろう。しかし、今さらDPEなどは面倒だ。

もっとすごいのは、テレビの画面をデジカメで撮ってしまう。もっとも、そんな方法よりも精度の高い別なやり方もあるはず。しかし、メモ程度にするのであればデジカメで十分。

工夫をするとデジカメの楽しみ方は、いろいろとあって面白い。
ほんとうに便利なものができたと、つくづく思う。
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