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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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よい水を飲もう! 毎日、健康のため。


何回も言っているが、「生水(なまみず)はOKだが、死に水はダメ」。
しかし、「生水」とは何か? それでは、「死に水」とは?
そんなことを、ここで一通り確認しておこう。

例えば「湯冷まし」は、残念ながら「死に水」。飲んでみても、あまりおいしくない。でも、それを衛生的だと言って、好んで飲む人がいる。
そうかと言って、湯冷ましばかりを長期的に飲用するのは、あまり好ましいことではないでしょう。むろん、水を高熱殺菌をしたのだから、バイ菌などはありません。しかし、人類が長い間経験をしてきた飲み水ではないのです。

もしも、それを確かめるのならば、金魚を湯冷ましの中で飼ってみてください。むろん、水温は常温にしてからですよ。金魚には、気の毒ですが……

酸素やミネラルを含んだ生水が、人体に好ましいことは何となくわかります。
そこで、どんな方法で生水を求めたらよいのでしょうか。
私の住宅の水道には、地下水が来ています。だから、それを濾過して化学薬品などを取り除き、そのまま飲用します。
濾過した水は、常温で放置しておいてはいけません。なぜならば、雑菌が繁殖するからです。

また、私は丹沢系の地下水を100パーセント原料にしている瓶ビールを愛用しています。ビールは、それ自体が利尿剤ですから、飲んだ量よりも多くが尿となって出ます。そして、その分を生水で補えるので一石二鳥です。
なお、「私が食堂で瓶ビールを飲み、自宅で肉を食べない理由(生水を飲む健康法・疑似ベジタリアン)」に、関連記事があります。
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パラサイト、それより恐い湖面猿たち。


「湖面猿」というのがいる。しかし、私が言っているのは関係が安定していない共生である。村上龍『共生虫』のように、不安定な関係だと最期は悲劇。

関係が良好のときは、互いに何でもない。
しかし、それがいったん悪化すると、必ず片方の悲劇的な命取りで終わる。

ちょうど、組織の中に不満分子がいて、内部告発をしようと考える。そして、マスコミなどの報道機関に対して、たれ込みの時期を狙っているようなものだ。
そんな意味で、私は「commensal」を「湖面猿」と訳した。ふつう、そこには単独で住み得ない生物であるから。

その意味で、体内にいる緑膿菌・溶連菌などのような日和見菌も、いつ豹変するかわからない湖面猿なので、非常に恐ろしい。
しかし、もっとおっかないのは、血液中にいる得体の知れない生命体。
エジプトのハトシェプスト女王が、血液に異常をきたして死んだことなどを考えると、私はいつも恐れる。死の間際には、激しい苦痛に耐えられなかったことがうかがえるからだ。
絶大な権力を誇った美貌の女性ファラオでさえ、断末魔があったらしい。

詳細は、毎度お馴染(なじ)み『青空の入門・創作ページへようこそ!』の
rikの「クラミジアなどを排除する血液浄化法」
を参照のこと。
下(くだ)らないメールを飽きず、呆(あき)れるばかり。


と、先輩が言った。
「おまえが、よくも飽きないので感心。いつまで、出すのか?」
とも、宣(のたま)わく。

私は、憮然(ぶぜん)として答える。
「あなた。あなたの心臓や肺は、いつまで飽きずに動いているのか?
あなたが、日々の食事に飽きてしまわないのは、なぜか?」

飽きてしまったら、終わりなのである。
何でも、未知の新しい物ばかりを好む馬鹿者もいる。
中国のある王の話。

毎日の食事が面白くないので、すべて新しい料理を日ごと出すように料理長に命ずる。料理長は、日々苦労して今までにない料理を作る。しかし、やがて行き詰まってしまう。

そこで、ある日
「これは王が召し上がる初めての料理で、私の最後の特別料理です。」
と言って、かなり大きな銀の蓋の付いた料理皿を運ばせる。
そして、自分の部屋に戻って、包丁で腹を切って自殺をする。

王が、食事係の家来に蓋を開けさせると、そこには料理長の子どもの丸焼きが調理されていた。
気分を悪くしたら、ごめん。


久々に会いたる友は、疲れたと言う。


高齢になると、誰もが日々疲れちゃうらしい。
そして、慢性疲労というか、人生に疲れてしまうことがある。歳をとると、疲労は仕方のないことかもしれない。

かつて、疲労というのは「疲労素」というものが、体内に蓄積すると考えた時代があった。それならば、それが貯まらないようにすればよい。

しかし中には、老人でも疲労など感じられないほど元気な人がいる。
目もいいし、耳も大丈夫。それどころか、食欲が旺盛。そんな人は、いったい何が原因なのであろうか。
羨(うらや)ましいかぎりである。

私も、ここのところ疲れて仕方がない。いま考えると、若いころは疲れなどあまり感じなかった。よほど、激しい運動をしたときなどのほかには。

それが、何となく疲れているのだ。
「疲労困憊」(ひろうこんぱい)という言葉がある。「疲弊困憊」(ひへいこんぱい)とも言う。また、それらを短くして「疲憊」(ひはい)などとも使う。

その友だちも、慢性的に疲憊してしまったらしい。それは、現代人の一般的な傾向かもしれないが。
お互いに、何とかして頑張ろう。

「新川」という川、いまはすでになくなる。


三鷹市に、「新川」という地名がある。
かつて、そこに「新川」という川が流れていたらしい。しかし、今となっては、川の面影はまったくない。「仙川」の場合とは、ちょっと違う。

似たようなことが、「入間川」(いるまがわ)にも言える。
滝坂小北にある甲州街道のところで、上流が暗渠になっているらしい。それ以前は、どうなっているかわからない。もしかしたら、ないのかもしれない。
ただ、中央高速下の中原四丁目第一アパートの辺りで、ちょっとその上流らしき姿があることはあるが。
かつて、三鷹市野ヶ谷のあたりに湧水(ゆうすい)や沢があった。もしかしたら、入間川はそこが水源地だったかもしれない。

下流のほうは武者小路実篤記念館のところで、ずれ曲がって入間町の西側を流れ、子鹿幼稚園のところで「野川」に注いでいる。つまり、別な川に合流をしているのだ。

地図を見ると、上流の分断された面影が何となくわかる。
「新川」とこの「入間川」のレポートを『青空の入門・創作ページへようこそ!』に後日しようと思う。

見つけたり、世界制覇も愚かな仕業。


古希も近くなって、とうとう見極めたような感じがする。
政権や権力争い、そして国家間の抗争、つまり戦争など。それらは、何れも愚かな始業(しわざ)であろう。
その意味で、私はアレキサンダー大王やナポレオンの業績などを偉大ではあるが、愚かしいことと考える。征服などと同時に、スポーツの世界も同じ。

先日、森内名人と郷田九段の対戦を見た。棋譜を見ていると、双方ともに実に鮮やかである。結局は、郷田九段が破れたが、それに至った経過は誰にでも明らか。素人の私が、テレビに映った盤面を見ていてもわかる。

話を戻して、私はいつも将棋における一つの戦略を考える。
もしも、相手の駒を取っていって、全部取ってしまったらどうなるであろうか。金銀財宝ではないが、取った駒を使わずに一方がすべてを貯める。
使うときは、別の駒を取るときである。例えば、桂馬で飛車・金取りなど。
すると、最後は王将だけになる。しかし、そんなことをしていったい何になるのだろうか。
やってみれば、よくわかる。
例えば、『青空の入門・創作ページ』の「ゲーム入門」にある『将棋』を見ていただきたい。その最後のほうにある「○何とも愚かな持久戦」のところです。
コスモスの花咲き乱れ、秋は来にけり。


コスモスは、「宇宙花」である。マクロコスモスとミクロコスモスがあるようだ。

cosmos

多摩川の河川敷で、コスモスが咲き乱れている。台風が来て、大水が出たらお終い(おしまい)だろう。根こそぎ流されてしまうから。
なお、上の図をクリックすると大きくなります。

「コスモス」の思い出もある。宮先生。滝口英子さん。三木アヤさん。その他、大勢の人がいた。今は亡い人と、今も元気な人と、今は病気の人がいる。また、新聞の選者になっている人もいる。

そのころ、三鷹台には家が少なく、教会が大きくてもひっそりとあった。井の頭線の反対側の高台には、立教女学院。神田川ではヌートリアを飼育して、毛皮を売っていた人がいた。ときどき玉川上水に入水する人がいて、どんどん橋のところで土左衛門になって上がった。よく見に行って、覚えている。

私は『やさしい短歌入門』で自信をなくしたので、この『新句(十九音)』を始めてみたんだが、……


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