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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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名人の棋譜(きふ)見て楽し、岡目八目。


岡目八目という言葉がある。
「おかめはちもく」と読むのだが、「岡目」は「傍目」と書くこともある。意味は、「やっている本人よりも他人のほうが、物事の是非がよくわかる」ということ。
囲碁を観戦している者は、実際の対局者よりも八目(はちもく)先の手まで読めるということらしい。

私は、囲碁でなく将棋が好きになった。
『青空の入門・創作ページへようこそ!』にある「ゲーム入門」の「将棋」のお陰である。

名人や有段者の勝負をテレビで見ていて、「ここに打てば、いいな?」と思うと、たいがいそうなる。岡目八目である。

政治や経営、戦争、そしてスポーツの試合や音楽の演奏などの批評は、自分の能力の10倍くらいまでできるという。したがって、物言いは簡単である。
実際にするのではなくて、……

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何故か? 夏の疲れが激しく残る。


今年の夏は、とても暑かった。
それでも、九月の半ばになると凌ぎやすくなる。すでに、秋になったみたい。

でも、身体がすっかり疲れてしまった。
昨年の夏は、10日間ほど入院・手術をしたが、疲れなどはなかった。
今年は、その後の経過がよくなく、抗生物質を飲んでいるせいか、何となく困憊(こんぱい)気味。

やはり、身体の中にパラサイト(寄生体)がいて、それに多量の栄養を横取りされてしまうためだろうか。

しかし、多くの人が私のような状態になっているという。保健所の係官が話してくれて知ったことだが、100万人くらいの人が治療をしないまま、どうしようもなくなってアウトになっちゃうらしい。
クラジミア・クリプトコッカス、血液に住む。


クラジミアやクリプトコッカスは、血液に住むパラサイト(寄生体)である。
したがって、私たちの血液中の栄養分をかすめ取る。その分量は、決して少なくない。やがて、本体がアウトになってしまうほど。エイズなどと同じである。

社会保険関係の人たちが寄生虫のように多く横取りすると、取られた本人たちは大変なことになる。つまり、横取りされて身を滅ぼしてしまうのである。

恐ろしい菌であるから、早めに何とかしたい。抗生物質を飲んで退治をするのであるが、身体が不調になるという問題もある。

血液は血管を流れているのだが、大動脈から毛細血管、さらにはグルミューに至って心臓にふたたび戻るまでは、何と地球の二周半もあるという。

そのようなことについて、

rikの「クラミジアなどを排除する血液浄化法」

に、独自な見解をまとめようとしている。





お互いに利害関係、反して敵に。


最初から悪い人は、意外に少ない。それが、何らかの拍子に相手が敵や悪人になる。人と人との関係は、そんなものらしい。
さらに、国と国の関係も同じパターンを辿る(たどる)。

親が死んで財産の問題から、兄弟が争うなどということは、まったくバカげている。しかし、そのような事例は思ったよりも多い。また、お互いに親しくしていたと思ったら、たちまち喧嘩である。
『徒然草』にも、

 <世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。惑(まど)ひの上に醉へり、醉(よい)の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。>

という記述があった。

久々に大食いをして、至福の時間。


腹がいっぱいになると、何となく幸福である。
しかし、インシュリンが不足になりがちなので、尿糖がなかなか戻らない。そこで、幸福ではあっても、「ダモレスクの剣」のような先行きの心配が生じる。

もともと、「心地よさ」が人生の目的のようだ。
教育や倫理などで、私たちは幻影をいだく。
そして、存在をしない目的に猪突猛進する。空しいことである。あたかも、ドン=キホーテが水車を悪魔と錯覚したように。

「生死」「取捨」「有無」などをまとめた概念として扱うと、価値観がちょっと変わってくるかもしれない。抗生物質を飲んでいると、気力がなくなって、何となく目的を失ってしまったのかもしれないが、……。

何となく、夏の疲れがそのまま残る。


外(そと)は、台風である。大型のものが、本土に上陸したようだ。
かなり風が強く、また雨もしぶいている。

今年の夏は、とくに暑かったようだ。
いま(2007年9月7日、金曜日、午前3時)、のそのそと起き出して、パソコンに向かってみた。
きょうは、南大沢の病院に行く日でもある。
この強風の中で、交通機関は大丈夫だろうか。

ここのところ、夏の疲れが残ってしまったためであろう。身体が、とてもしんどい。あるいは、現在服用をしている抗生物質のためかもしれない。

人生には、いろいろな変化がある。
何となく、いま自分自身の身体の中を台風が進んでいるような気もするが、……
鮮やかな記憶になりて、君は残れり。


と言っても、実際の人ではない。
きのう見た映画のこと。1975年イギリス映画『バリー リンドン』、191分の大作。ライアン=オニールが演じている。
ジョージ三世の時代、アイルランド出身の成り上がり貴族の生涯。決闘で結果的には左足を失い、言葉通りではないが失脚をして、アイルランドへ母親と二人で逃げるように帰るところまでが描かれている。

妻の前の夫との子、ブリンドン卿の心の葛藤がメイン・テーマ。
アレキサンダー大王やナポレオンほどのスケールではないが、貴族社会や人間関係の中で、愚かな野心とその哀れな結末は、似たようなもの。
いったい、何をしたのか? いったい、何のための人生か?

全編にわたって「ラ・フォリア」が、通奏低音として執拗に歌う。別なチェロ曲などが少しあるが、「これでもか、これでもか」と反復する。
最後は、「美しいものも、醜いものも、今はすべてあの世」というテロップが出て終わる。
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