rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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『ニュートン』と『ムー』があるかを探していたり。
ときどき書店に行くと、雑誌コーナーに行って、『ニュートン』や『ムー』があるかどうかを確かめる。そして、内容が面白かったら買う。
しかし、『ニュートン』は雑誌のところにはない。奥の科学書のコーナーに専用棚があるからだ。『ムー』は、手前の雑誌コーナーに置いてある。いつも私が買う聖蹟桜ヶ丘A館のくまざわ書店アカデミアでは。
前者は、竹内という編集者の考え方が私とは大いに異なるので、ちょっと抵抗を感じるが、すでに買ってもっている十数冊の内容は素晴らしい。
後者は、大学の同じ科の後輩であるマイトレーヤという人が愛読していたなどとテレビにかつて報道されたので、ちょっと買うときにやはり抵抗を感じる。
私は、宗教や超能力を好むわけではない。むしろ、その反対なのである。
ただ、自分自身の回りに生じている不可解な現象を調べたいだけだ。
むろん「ああ言えば、こう言う」などというような御託(ごたく)を並べたり、屁理屈をこねるつもりなど、まったくない。
ときどき書店に行くと、雑誌コーナーに行って、『ニュートン』や『ムー』があるかどうかを確かめる。そして、内容が面白かったら買う。
しかし、『ニュートン』は雑誌のところにはない。奥の科学書のコーナーに専用棚があるからだ。『ムー』は、手前の雑誌コーナーに置いてある。いつも私が買う聖蹟桜ヶ丘A館のくまざわ書店アカデミアでは。
前者は、竹内という編集者の考え方が私とは大いに異なるので、ちょっと抵抗を感じるが、すでに買ってもっている十数冊の内容は素晴らしい。
後者は、大学の同じ科の後輩であるマイトレーヤという人が愛読していたなどとテレビにかつて報道されたので、ちょっと買うときにやはり抵抗を感じる。
私は、宗教や超能力を好むわけではない。むしろ、その反対なのである。
ただ、自分自身の回りに生じている不可解な現象を調べたいだけだ。
むろん「ああ言えば、こう言う」などというような御託(ごたく)を並べたり、屁理屈をこねるつもりなど、まったくない。
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紅白のだんだら車両、走るのを見た。
先日(2007年10月5日、金曜日)午後2時頃、京王線の多摩川橋梁を府中方面に向かって、工事用車両の編成が走っていくのを見た。
いつも、高幡不動の西側の車両基地に置いてある電車だ。
3両ほどで編成されていて、すべて紅白のだんだら模様が付いている。その中央の車両は、クレーン車であろうか特異な形をしているので、注意を引きやすい。
私は、おそらく夜間の保線工事用に利用するものとばかり思っていたので、日中に本線を走っているところを見たので、とてもうれしかった。
しかし、その走行には思いもよらず急に気付いたことだったので、デジカメで撮影する間がなかったことが、大いに残念。
でも、見ただけでも思い出になって楽しい。
先日(2007年10月5日、金曜日)午後2時頃、京王線の多摩川橋梁を府中方面に向かって、工事用車両の編成が走っていくのを見た。
いつも、高幡不動の西側の車両基地に置いてある電車だ。
3両ほどで編成されていて、すべて紅白のだんだら模様が付いている。その中央の車両は、クレーン車であろうか特異な形をしているので、注意を引きやすい。
私は、おそらく夜間の保線工事用に利用するものとばかり思っていたので、日中に本線を走っているところを見たので、とてもうれしかった。
しかし、その走行には思いもよらず急に気付いたことだったので、デジカメで撮影する間がなかったことが、大いに残念。
でも、見ただけでも思い出になって楽しい。
楽しみは、初めての道、小さな発見。
老いてしまったせいか、あまり遠くへは行けない。
しかし、近場のそぞろ歩きの中にも、大きな楽しみがある。
それは、ちょっとした小さな発見ができること。
路傍に咲いている美しい花や、珍しい花。そして木々。また、石や建物、さらに景色などすべてだ。
そして、暑い日差しのときの木陰の気持ちよさ、吹いてくる涼しい風なども。
そんな中に楽しみがあったり、小さな発見がある。
ときには、デジャビュ(既視感)というのであろうか、何となくなつかしい気持がする場所がある。
もしかしたら、幼いときに同じようなところに来たのかもしれない。さらに、自分ではなく、父母や祖父母たちがそこにいたのかもしれない。理由はわからなくても追体験をすることは、なかなか興味深い。
そんなことを考えると、楽しくなってしまう。
初めてのコースを行くと、そんなことがよくある。
老いてしまったせいか、あまり遠くへは行けない。
しかし、近場のそぞろ歩きの中にも、大きな楽しみがある。
それは、ちょっとした小さな発見ができること。
路傍に咲いている美しい花や、珍しい花。そして木々。また、石や建物、さらに景色などすべてだ。
そして、暑い日差しのときの木陰の気持ちよさ、吹いてくる涼しい風なども。
そんな中に楽しみがあったり、小さな発見がある。
ときには、デジャビュ(既視感)というのであろうか、何となくなつかしい気持がする場所がある。
もしかしたら、幼いときに同じようなところに来たのかもしれない。さらに、自分ではなく、父母や祖父母たちがそこにいたのかもしれない。理由はわからなくても追体験をすることは、なかなか興味深い。
そんなことを考えると、楽しくなってしまう。
初めてのコースを行くと、そんなことがよくある。
可能性、次々と失せ(うせ)元の木阿弥(もくあみ)。
だいぶ前に、健康に関する広報をホームページでしようと考えた。
初めは、この市を中心とした地域社会で行って、全国的な運動にしたいとも企画をしたのだが、どうもうまくいかない。
私たちの回りには、あまりにも病人が多いので、ついそんなことを考えてしまったのだが。そして賛同者も、当初から10数人いたからである。
しかし、予防が目的であって、個々の治療などはできない。
医療機関でないからであり、個人差が大きいからである。その個人差を考えないと、現在の医療でもあまり効果がないだろう。
会長だった人のほかに二人が死んだり、一人はアルツハイマー、そして二人が寝たきり。奥さんが、認知症になった人もいる。
健康を指向して、病気にならない「食べ物」や「生活習慣」を考えたのだが、市の広報で集まった人たちは、すでにかなりの重病人であった人がほとんど。中には肝炎の人や、重度の糖尿病で失明寸前の人もいた。
なってから直すのではなく、なる前に予防をしようという主旨が、どうもはっきりしなかったからであろう。
だいぶ前に、健康に関する広報をホームページでしようと考えた。
初めは、この市を中心とした地域社会で行って、全国的な運動にしたいとも企画をしたのだが、どうもうまくいかない。
私たちの回りには、あまりにも病人が多いので、ついそんなことを考えてしまったのだが。そして賛同者も、当初から10数人いたからである。
しかし、予防が目的であって、個々の治療などはできない。
医療機関でないからであり、個人差が大きいからである。その個人差を考えないと、現在の医療でもあまり効果がないだろう。
会長だった人のほかに二人が死んだり、一人はアルツハイマー、そして二人が寝たきり。奥さんが、認知症になった人もいる。
健康を指向して、病気にならない「食べ物」や「生活習慣」を考えたのだが、市の広報で集まった人たちは、すでにかなりの重病人であった人がほとんど。中には肝炎の人や、重度の糖尿病で失明寸前の人もいた。
なってから直すのではなく、なる前に予防をしようという主旨が、どうもはっきりしなかったからであろう。
いろいろな人に答えた文章残る。
一時期、老化予防のために自分自身の「脳の活性化」をはかる試みをした。
その方法として、いろいろなサイトの質問を利用するのである。
つまり、質問に対して考えて回答をすることによって、自分自身の記憶の整理や確認などをするのだ。
むろん、中途半端な回答や無責任の内容はいけない。そのようなことは、相手のあることだから当然であろう。
しかし、後で考えてみると
健康Q&A
パソコンQ&A
雑学Q&A
などの内容は、何となく無責任で軽薄。我ながら恥ずかしくもなり、今になって何とかならないものかと思う。
そんなために、ここのところ時間がある度に書き直しているのだが。
しかし、それがいわゆる「恥の上塗り」にならなければよいが。
一時期、老化予防のために自分自身の「脳の活性化」をはかる試みをした。
その方法として、いろいろなサイトの質問を利用するのである。
つまり、質問に対して考えて回答をすることによって、自分自身の記憶の整理や確認などをするのだ。
むろん、中途半端な回答や無責任の内容はいけない。そのようなことは、相手のあることだから当然であろう。
しかし、後で考えてみると
健康Q&A
パソコンQ&A
雑学Q&A
などの内容は、何となく無責任で軽薄。我ながら恥ずかしくもなり、今になって何とかならないものかと思う。
そんなために、ここのところ時間がある度に書き直しているのだが。
しかし、それがいわゆる「恥の上塗り」にならなければよいが。
三木さんのアドバイスにて、リンク改善。
三木先輩からは、いつも有意義な意見をいただく。
先日、思い切ってVISTAにしようと考えて、いろいろと聞いてみると、まだその必要はないようだ。
また、かねがねホームページのリンクの方法なども指導いただいた。
そんなわけで、この度かなりの手直しをしてみた。
すると、エリアがずいぶん少なくなって、ムダをしていた部分がなくなる。
そのことをプロバイダに言ったら、契約を先月付で変更してくれた。3日なのに、先月末付けで今月から料金を改定してくれるという。
いままでよりも、月額4620円ほど安くなるそうだ。
三木先輩には、ホームページの作り方も、ずいぶんと教えてもらった。
いま考えてみると、感謝をするとともに大いに勉強になった。とても有意義であったが、反面ではあまり意味のないことを次々としてきたようにも思う。
パソコン本体やプリンタなどのほかに、ホームページの費用を毎月1万円以上もプロバイダに支払って、いったい何をしてきたのだろうか。
ほとんど誰も見てくれないのに、そんなムダなことをしていたのはなぜか。金の問題ではなく、ただ最初に集まった仲間への面子の問題であった。
その仲間も、すでに3人死んでしまった。そして、二人は寝たきり。
結局は、自分自身への意地の問題に他ならない。
三木先輩からは、いつも有意義な意見をいただく。
先日、思い切ってVISTAにしようと考えて、いろいろと聞いてみると、まだその必要はないようだ。
また、かねがねホームページのリンクの方法なども指導いただいた。
そんなわけで、この度かなりの手直しをしてみた。
すると、エリアがずいぶん少なくなって、ムダをしていた部分がなくなる。
そのことをプロバイダに言ったら、契約を先月付で変更してくれた。3日なのに、先月末付けで今月から料金を改定してくれるという。
いままでよりも、月額4620円ほど安くなるそうだ。
三木先輩には、ホームページの作り方も、ずいぶんと教えてもらった。
いま考えてみると、感謝をするとともに大いに勉強になった。とても有意義であったが、反面ではあまり意味のないことを次々としてきたようにも思う。
パソコン本体やプリンタなどのほかに、ホームページの費用を毎月1万円以上もプロバイダに支払って、いったい何をしてきたのだろうか。
ほとんど誰も見てくれないのに、そんなムダなことをしていたのはなぜか。金の問題ではなく、ただ最初に集まった仲間への面子の問題であった。
その仲間も、すでに3人死んでしまった。そして、二人は寝たきり。
結局は、自分自身への意地の問題に他ならない。
保菌者は人間兵器? テロ戦略か。
最近になって、ちょっと不思議なことに気づいた。
身体の外部からやられるのではなく、内部からアウトになる人が多くなったからだ。また、日本にビル破壊や乗り物の爆破などが、まだないことである。
もしかしたら、日本が島国であることが原因かもしれない。面積は小さいが、海岸の長さで言ったら世界で6番目の大国である。そんなことが、事情を変えているのだろう。
アメリカやヨーロッパのことを考えると、まったく不思議である。
そこでどうしても、日本に対しては別戦略が行われているのではないかという、揣摩憶測・げすの勘ぐりが生じてしまう。
つまり、炭疽菌などとは異なる新しい細菌兵器による侵略なのである。
吉田戦車の『いじめてくん』や村上龍の『共生虫』は、単なる創作であろう。
しかし、いろいろ調べてみると、次々にパラサイトが増えているという現実があることに気づく。
大昔にある国は、敵対する国に数人の美しい女性の保菌者を送り込んだらしい。そして、その女性を媒介して病人が増えていき、国が衰えていったかどうか、私は知らないが。
また、過去にある国が別な大国を支配しようして、軍に何と祭禁舞台などを設けたということがあったようだ。
でも、現在はそんな幼稚な方法ではないらしい。
院内感染の不思議さなどからも、何となく私も当事者としてわかるような気がする。どこでどうしてなったかが、まったくわからないからです。
そんなことは、私だけの杞憂であればよいのだが、……
最近になって、ちょっと不思議なことに気づいた。
身体の外部からやられるのではなく、内部からアウトになる人が多くなったからだ。また、日本にビル破壊や乗り物の爆破などが、まだないことである。
もしかしたら、日本が島国であることが原因かもしれない。面積は小さいが、海岸の長さで言ったら世界で6番目の大国である。そんなことが、事情を変えているのだろう。
アメリカやヨーロッパのことを考えると、まったく不思議である。
そこでどうしても、日本に対しては別戦略が行われているのではないかという、揣摩憶測・げすの勘ぐりが生じてしまう。
つまり、炭疽菌などとは異なる新しい細菌兵器による侵略なのである。
吉田戦車の『いじめてくん』や村上龍の『共生虫』は、単なる創作であろう。
しかし、いろいろ調べてみると、次々にパラサイトが増えているという現実があることに気づく。
大昔にある国は、敵対する国に数人の美しい女性の保菌者を送り込んだらしい。そして、その女性を媒介して病人が増えていき、国が衰えていったかどうか、私は知らないが。
また、過去にある国が別な大国を支配しようして、軍に何と祭禁舞台などを設けたということがあったようだ。
でも、現在はそんな幼稚な方法ではないらしい。
院内感染の不思議さなどからも、何となく私も当事者としてわかるような気がする。どこでどうしてなったかが、まったくわからないからです。
そんなことは、私だけの杞憂であればよいのだが、……