rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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新句して、あなたも日々の生きる証(あかし)を!
だいぶ前に、
五七七、あなたもやって、生きる証(あかし)を!
という句を作りました。
その後、五七七ではなく「新句」とするほうがよいと考え、この句を作ったのです。しかし、最初は「新句」ではなく「真句」を考えましたが、他の短詞形に対してちょっと厚かましく、また「Think」などとするのもキザっぽく、またサギっぽいようなので、単純なこの「新句」に相成り(あいなり)ました次第。
しかし、名前は変わったものの目的の主旨や中身はまったく同じです。
とても簡単です。
あなたも、やって確かめてごらんになれば?
だいぶ前に、
五七七、あなたもやって、生きる証(あかし)を!
という句を作りました。
その後、五七七ではなく「新句」とするほうがよいと考え、この句を作ったのです。しかし、最初は「新句」ではなく「真句」を考えましたが、他の短詞形に対してちょっと厚かましく、また「Think」などとするのもキザっぽく、またサギっぽいようなので、単純なこの「新句」に相成り(あいなり)ました次第。
しかし、名前は変わったものの目的の主旨や中身はまったく同じです。
とても簡単です。
あなたも、やって確かめてごらんになれば?
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最近は、イタリア料理大好きになる。
「肉や魚を食べない。」「油っこい料理は食べない。」「ベジタリアンだ。」
などと言っていたが、最近はちょっと違う。
入院・手術をして、その後ちょっと具合が悪い。カテーテルから院内感染をしてしまい、体力が維持できないのだ。そこで、ベジタリアンを撤退。肉や魚も食べる。そして脂っこいものや、油っこいイタリア料理もOK。
先日、吉祥寺の武蔵野公会堂にある「TRATTORIA Piccina」で臼井さん、高守さんと食べたイタリア料理1500円のコースはおいしかった。
また、きょう妻といっしょに仙川の「Cafe Jr. ITALIAN TOMATO」で食べたイタリアン・モーニングも、とてもおいしかった。
ベジタリアンなどと言っていた日々が、今となってはバッカみたい。
「肉や魚を食べない。」「油っこい料理は食べない。」「ベジタリアンだ。」
などと言っていたが、最近はちょっと違う。
入院・手術をして、その後ちょっと具合が悪い。カテーテルから院内感染をしてしまい、体力が維持できないのだ。そこで、ベジタリアンを撤退。肉や魚も食べる。そして脂っこいものや、油っこいイタリア料理もOK。
先日、吉祥寺の武蔵野公会堂にある「TRATTORIA Piccina」で臼井さん、高守さんと食べたイタリア料理1500円のコースはおいしかった。
また、きょう妻といっしょに仙川の「Cafe Jr. ITALIAN TOMATO」で食べたイタリアン・モーニングも、とてもおいしかった。
ベジタリアンなどと言っていた日々が、今となってはバッカみたい。
人生は、欲求の追求? 愚かなりけり。
「金が欲しい」「物が欲しい」「恋人が欲しい」などと言って、次々とがんばるのが人生のようです。
とくに若いときには、際限がありません。
しかし、老いてくると違ってきます。
キリがないということを知ったからでしょうか。
そんなわけで、老いると欲望が少なくなるのがふつうです。
しかし、老いてますます物欲が増す人もいるので、驚きです。
また、老いてなお勝負をする意欲がある人もいます。
しかし、老いたら内面的な問題をクリアして、「生きている証明」をなすべきではないでしょうか。
「金が欲しい」「物が欲しい」「恋人が欲しい」などと言って、次々とがんばるのが人生のようです。
とくに若いときには、際限がありません。
しかし、老いてくると違ってきます。
キリがないということを知ったからでしょうか。
そんなわけで、老いると欲望が少なくなるのがふつうです。
しかし、老いてますます物欲が増す人もいるので、驚きです。
また、老いてなお勝負をする意欲がある人もいます。
しかし、老いたら内面的な問題をクリアして、「生きている証明」をなすべきではないでしょうか。
考えてみれば、さほどに要(い)るものはなし。
考えてみると、身の回りには「どうしても必要だ」というものは、あんがい少ないようですね。
身近に、使わない物、活用をしていないものが、かなりあるからです。
また、不要なものが多すぎるようでもあります。
しかし、不要なもの、活用をしていないもの、使わない物なども、求めるときは考えが違いました。
私は、「吾唯足知」(われただたるをしる)という蹲い(つくばい)に書かれているデザインを思い出します。そして、その「口」を他の四つの文字が共用している姿勢などに、まったく感心させられるのですが、……
考えてみると、身の回りには「どうしても必要だ」というものは、あんがい少ないようですね。
身近に、使わない物、活用をしていないものが、かなりあるからです。
また、不要なものが多すぎるようでもあります。
しかし、不要なもの、活用をしていないもの、使わない物なども、求めるときは考えが違いました。
私は、「吾唯足知」(われただたるをしる)という蹲い(つくばい)に書かれているデザインを思い出します。そして、その「口」を他の四つの文字が共用している姿勢などに、まったく感心させられるのですが、……
思い出とともに生きゆく、寝たきりの老い。
これは、ある先輩のことについてです。つまり、その先輩をテーマにした私の作品なのです。
その人は、すでに歩行が不可能になってしまいました。病院へ行くときなどは、お子さんに車椅子を押してもらいます。
記憶も薄らいでしまって、何となく生気がありません。
そこで、私は思い知らされた次第。
寝たきりの老いが、いかに問題であるか。
また、なすべくもない日々が、いかに無意味になってしまうか。
そんなために、症状が軽いうちから「生きている証明」のために、新句(十九音)を始めるのがよいでしょう。
これは、ある先輩のことについてです。つまり、その先輩をテーマにした私の作品なのです。
その人は、すでに歩行が不可能になってしまいました。病院へ行くときなどは、お子さんに車椅子を押してもらいます。
記憶も薄らいでしまって、何となく生気がありません。
そこで、私は思い知らされた次第。
寝たきりの老いが、いかに問題であるか。
また、なすべくもない日々が、いかに無意味になってしまうか。
そんなために、症状が軽いうちから「生きている証明」のために、新句(十九音)を始めるのがよいでしょう。
次々と、記憶のうちの欠片(かけら)が戻る。
記憶の断片、つまり欠片(かけら)ともいえる些細(ささい)な部分が、脈絡もないままに蘇って(よみがえって)くることがあります。しかし、それの原因が何によるものかはわかりません。
得てして、それはなぜか、いつも私を苛む(さいなむ)のです。
中には、犯罪に近いようなものもあるのですが、なぜそんな記憶が今頃になって、唐突に蘇ってくるのかがわかりません。
もしかしたら、脳が私に自己反省の機会を与えようとしているのではないでしょうか。
脳というものは、まったく不思議です。
もしかしたら「人間に寄生をしたエイリアン」ではないかと、私は思ったりもするのですが、……
記憶の断片、つまり欠片(かけら)ともいえる些細(ささい)な部分が、脈絡もないままに蘇って(よみがえって)くることがあります。しかし、それの原因が何によるものかはわかりません。
得てして、それはなぜか、いつも私を苛む(さいなむ)のです。
中には、犯罪に近いようなものもあるのですが、なぜそんな記憶が今頃になって、唐突に蘇ってくるのかがわかりません。
もしかしたら、脳が私に自己反省の機会を与えようとしているのではないでしょうか。
脳というものは、まったく不思議です。
もしかしたら「人間に寄生をしたエイリアン」ではないかと、私は思ったりもするのですが、……
思いつくことを細かに、書き留めてみる。
「なぜそんなことをするのか」と、おっしゃるのですか?
それは、「生きている証明」をしているからです。
この新句には、簡単な五七七の形式を利用して、考え方や思いついたことを記録できます。それも、気楽にできるのです。
そこで、思いついたことは、忘れてしまわないうちに作品としてメモっておくとよいでしょう。
メモにしておくと、後で見直して、それを育てることができます。
しかし、ちょっとしたことでも忘れてしまったら、それでお終いです。
そんなことが、結局は「生きている証明」なんですよ。
「なぜそんなことをするのか」と、おっしゃるのですか?
それは、「生きている証明」をしているからです。
この新句には、簡単な五七七の形式を利用して、考え方や思いついたことを記録できます。それも、気楽にできるのです。
そこで、思いついたことは、忘れてしまわないうちに作品としてメモっておくとよいでしょう。
メモにしておくと、後で見直して、それを育てることができます。
しかし、ちょっとしたことでも忘れてしまったら、それでお終いです。
そんなことが、結局は「生きている証明」なんですよ。