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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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したきこと、あまりに多く、未完のままに。


あれもしたい、これもしたい。などと考えると、結局は中途半端になってしまいます。つまり、未完のままになってしまうのです。

つまみ食いのような感じで、私のやり方はどうもいけません。
高齢者がいかに日々生き甲斐をもって暮らしていくかを考えて、「生きている証明」のための「入門コース」などを作ってみました。
つまり、「隗より初めよ」で自分自身が確かめながら進めて来たんです。すると、「ミイラ取りがミイラになる」ような感じで、なかなか進みません。

そこで、ある程度で切り上げます。しかし、どうも後味がよくありません。そんな感じで、どんどん深みにはまっていっちゃう。
人生には、ほどほどが大切なのかも?
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HP二つ、ブログ・掲示板各一、計四つ、四年目。


いったい字余りだか、字足らずだかわかりません。
また、「HP」は何と読んだらいいのでしょうか?

全部で十ほどあったホームページやブログですが、訪問者も少なく、どうも面倒になってしまい、少しずつ整理をしてきました。
そして、きょう(2007年8月5日、日曜日)、やっと上の四つになった次第。
四年目のなりの果て、つまり結果がもたらした現状です。

情熱を燃やしてやったみたのですが、「燃え尽きた納屋」のように、すっかりアイディアが出尽くしてしまったみたい。

そんなわけで、鴨長明ではないが、がうなやみさごのような自分が好ましいと考え始めた次第。遅すぎた春か?
新句とは、「考えよう」と、ついに見つけぬ。


最初は仮に「五七七」と言っていましたが、私にとっては「真句」なので「新句」と名付けました。「真句」では、他の短詞形、つまり短歌や俳句などに対して不遜だと考えたからです。

しかし、「新句」では何のことかわかりません。
そこで、当分の間は「十九音」と補うようにしました。「五七七」が、十九音だからです。

そして、IBM社の社是が

Think,Think,Think.

であることなどから、「考える」ことの大切さが「生きている証明」につながることを知ったのです。
ありがたい、ゴミ・不燃物、いつでも出せる。


私の住宅では、一階にゴミ収集所があって、燃やせるゴミ、不燃物のゴミ、ビン・カン・ペットボトル、さらには蛍光灯や電池などがいつでも出せます。

可燃物のゴミと不燃物のゴミは、大きなタンクになっていて、鍵のかかった投入口から捨てます。鍵は各自がもっていて、その都度開閉するので、外部の人は捨てれません。

二つのタンクは、かなり大きなもので大型タンカーに全体を積んで搬出するようです。

そんなわけで、いつでもゴミが出せるのでありがたい次第です。
臭(にお)いや防虫の問題も、今のところまったくありません。
快適な生活ができるゆえんです。
マシンなど、故障をしても致し方(いたしかた)ない。


しばしばパソコンが、壊れてしまうことがあります。
修理に出すと、しばらくは手元にないので使えません。

しかし、考えてみれば致し方ないことです。
機械や道具が故障をするのは、当然だからです。

ちょうど、人間の身体が不調に陥って、そのまま病気になってしまうのと似ているではありませんか。
人間の場合は、修理に出すのとは違いますが、入院をしたりすると、何となく故障をした機械と同じ状態のようになってしまします。

機械の場合は、「もう修理をしてもダメだから、新しいのにしなさい」などと言われて、そうしたりすることが多いようです。
人間の場合は、……
蛇の皮、蝉の脱け殻、空しくもあり。


小山田緑地の林道を歩いていると、蛇の皮や蝉の脱け殻を見かかることがあります。いずれも、木に引っかかっているのですが、蛇は脱皮をして一回り大きくなったのでしょう。また、蝉は地中の生活から地上に移った後で、飛べるようになるために殻を脱ぐのでしょうか。

いずれにしても、変身と言えるでしょう。
蛇は変身をしても、あまり姿に変わりがありません。
しかし、蝉は羽を使って飛べるようになるので、大変身です。

動物の身体は、なかなかうまくできているものと感心をします。
人間は、とくに脱皮などをしませんが、その代わり皮膚の表面から定期的に垢(あか)を落とす必要が生じるのではないでしょうか。
何事もしばらくすると、慣れて飽きちゃう?


最初は興味をもって始めたことですが、しばらくすると何となく面倒になって、遠ざかっていくようです。飽きっぽい私は、とくにそのような傾向が強いのですが、知人にもっとひどいのがいます。つまり、彼は、人生そのものに飽きちゃったみたい。

能役者で謡曲作者だった世阿弥元清の言葉に、

<初心忘るべからず>

とあります。
それは、「常に最初の意気込みと、物事に対する謙虚さをもって当たらなくちゃダメ」というような意味でしょう。

また、宮本武蔵が言った言葉、

<千日の練習を「鍛」とし、百日の反復を「錬」と言おう。……>

なども印象的ですね。
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