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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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久々に聴くケンプなり、なつかしき音。


バックハウスなどと比べると、何となく地味な感じがしたウイルヘルム=ケンプのピアノですが、聞き直してみるとそこにはなつかしい音がありました。

中学生のころから、ケンプが弾くベートーベンのピアノソナタをしばしば聞いたものです。
その後、全32曲を続けて聞くのはバックハウス、そしてアンネ=オランドと変わりました。バックハウスのは、だいたい番号順になっていますが、アンネ=オランドは10枚組のCDになっていて、一枚ごとの取り合わせが実によくできています。

そんな日々でしたが、久々に実況の録画でケンプを聴くと、バックハウスやオランドにないなつかしい響きがあったので、驚いた次第。
それは、私にとって「技巧ということを感じさせない技巧」でもあるようです。
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切り詰める言葉のうちに、余韻(よいん)が残る。


短詞形では、だらだらと説明をすることができません。
かいつまんで、短い表現にする必要があるからです。

細かいことはさておいて、重要なポイントを最初に述べるようにしましょう。そのようにすると、不思議なことに「余韻」が残ります。
さらに、「奥ゆかしさ」まで生じることがあるので、不思議です。

何でもそうでしょうが、あまり細かいことに注意をすると、膨大なことになってしまいます。

私が愛読している『正法眼蔵』という本には、「歯の磨き方」から「お尻の拭き方」までも書いてありました。そして、その「お尻の拭き方」には、「紙の場合」と「箆(へら)を使う場合」など、細々と書いてあるのです。
「エイズとは、どんな病気か?」調べつつあり。


最近になって、「HIV」とか「AIDS」が問題になっています。急速に増えていて、死んでしまう人が多くなったからです。
何となく「いやらしい病気」と考えがちですが、そうではありません。

エイズは、後天性(Acquired)免疫(Immuno)不全(Deficiency)症候群(Syndrome)なのです。
そして、ヒト(Human)免疫不全(Immunodeficiency)ウイルス(Virus)によって起こる病気なのです。

問題は、私たちの「免疫」という仕組みが効かなくなることです。つまり、ホメオスタシスのバランスが崩れて、体内の抵抗力がなくなってしまうのです。

そのために、普段なら何ともないウイルスや細菌、さらにはカビなどに感染をして、アウトのなっちゃうんです。
歯周菌が血液中に入っても、問題が生じるようです。男性同士の性行為から感染するともいわれますが、それは血液を介してなる場合が多いようです。
また、母親から赤ちゃんへダイレクトに感染することもあるので、感染経路はいちがいに言えません。
少しずつ書き足してゆく楽しみもあり。


ホームページやブログは、なかなか面倒です。
いっぺんに作ろうとすると、かなり大変な作業になってしまいます。

そこで、私は少しずつ仕上げていくことにしました。
当然のことながら、できあがるまでは不完全な内容になっているでしょう。
それでも、アップロードをしてしまうのです。

大きなテキストなどは、自分自身のハードディスクやオンメモリでするのは、いちじるしく作業効率が悪いからです。
そんなわけで、Internet Explorerを利用して内容の検討をします。

例えば、「健康のページ」「創世記」はかなり大きなテキストですから、そうせざるをえません。
親鸞を在家で奉る(まつる)、「妙好人」(みょうこうにん)。


知らなかったのではあるが、私が自作のことで外村繁や林田茂雄の話をしたら、彼らを「妙好人」と呼ぶのだと言う。高守さんが、教えてくれたのである。

あまり聞かない言葉であるが、「みょうこうにん」と読むそうである。
それでは、なぜ「妙なる」という字と「好ましい」という字が用いられているかまでは、気後れがして聞けなかった。
もしかしたら、「妙好」は人名なのかもしれない。

高守さんは、国文学の大家であるとともに、仏教の知識がものすごく深い。さらに、キリスト教に関しても学者肌。

私は、仏教やキリスト教に関してわからないことだらけ。そこで、高守さんに聞きにいくことにしている。
そして、忘れないために上のような新句(十九音)の形にして覚えることにしてるんだ。


何回も繰り返し言う、至福の昼餉(ひるげ)。


朝から晴れているので、昼過ぎから散歩に出かけた。
大栗川、乞田川、そして多摩川のいつものコース。堤防を歩くと木陰(こかげ)がないので、とても暑い。

乞田川が多摩川に合流するところの公園のベンチで、30分ほど横になる。藤棚になっているので、陽は当たらず、また風があって気持ちよい。これもまた、しばし至福の刻(とき)。

それから、てくてくと歩いて聖蹟桜ヶ丘駅に戻り、吉野家に入る。
きょうは、豚丼が50円引きで280円。瓶ビール(500ml)と併せて(あわせて)何と680円である。退院後に体力がなくなって、ベジタリアンをやめたので、これまた肉食ができる至福。

ちょっと食べたりなくもあったので、ミスタードナツへ梯子(はしご)。
エンゼルクリームとハニーファッション、そしてホットカフェオレをお代わりして2杯。535円だった。これまた至福?


懐かしきケンプのピアノ、円熟を見る。


中学時代に上方仁さんのお宅で、ウイルヘルム=ケンプのレコードをよく聴いた。まだ、SPの時代だった。でも、後のウイルヘルム=バックハウスなどと比べると、演奏は今ひとつと私は思い続けてきた。

しかし、きょう(2007年8月6日、月曜日)お昼前のNHK(BS102チャンネル)で聞いて、大いに考えを改めた。モノクロのフィルムで、演奏会場の実録であるが、聴衆の表情なども多く交えた録画。

曲は、ベートーベンのピアノソナタ17番(作品31第2)ニ短調、俗に『テンペスト』と言われる曲。すばらしい演奏で、感動した。第二楽章の歌うようなところでは、なぜか涙が出そうになったほど。

そして、終楽章に入ったところが素晴らしかった。何回目かに、わざわざシンコペーションしているのは、実に効果的である。そして、最後は消えゆくようなデクレッシェンド。

ケンプは、<演奏は毎回違う>と言い、<ピアノに向き合うときは、いつも初めてのような気がする>というメッセージを演奏前にしている。
演奏中は鍵盤をあまり見ない。ときには目を瞑(つぶ)っている。
私は、改めて円熟をした芸術を見れてうれしかった。


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