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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ほどほどにすれば、心も穏やかなるか?


あまり物事に熱中しすぎてはいけないそうです。
とくに、この五七七などは「それ自体が目的」ではないからです。

つまり、自分自身の「生きている証明」にするための一つの表現だからです。それは、自分自身の生き様を写す鏡のようなものかもしれません。

それ自体が目的ではなくとも、真面目に日々を過ごしていれば、それなりに真面目な五七七ができるでしょう。

あまり、文学的なことを考えるよりも、むしろ各自で「知的空間」と「その奥義」を求めていくのが、よいのではないでしょうか。

と、まぁ、私は思うんですが、……
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五七七、老化予防の効果もあるか?


どうやらこの五七七には、老化予防の効果もばっちり。
なぜならば、言葉を工夫することによって、老化予防の効果があることがわかっているからです。

また、パソコンを使ってインプットをすろと、効果倍増。
なぜならば、十本の指を巧みに使わなければなりません。いきおい、指を使うことによっても「脳をリフレッシュ」ができるのです。

カントは、

    <手は外部の脳である>

と言ったそうです。
まったく、その通りだと私も思います。
本来は楽しかるべき記憶に悩む。


そのときは何となく楽しかったことでも、後になってみるとペーソスに満ちあふれていることに気づく。そんなことが、ときどきある。

おそらく、有頂天になったときなどには、自分の置かれている立場などを見失っているためだろう。

いろいろなことが、人生にはある。
細いスリットから、外の世界を見ているようなものかもしれない。
白馬が疾走して、チラッと見えたりするのではあるが、走り続ける物体を見る側のほうから考えると、瞬く(またたく)間、つまり瞬間の出来事である。

そんなことが、遅蒔きながら解ってきたんだが、すでに私は病膏肓に入ってしまったみたい。
何故か? 記憶の一部、我を苛む(さいなむ)。


なぜだろうか?
過去の記憶の一部が、自分自身を苛んでくることがある。
後悔とか反省といったものであろうか。むしろ、罪の意識とでも言うほうが当たっているのかもしれない。

いろいろと考えてみると、私の人生は失敗と恥の連続だったようにも思う。何となく、後ろめたい今までであった。

そして、人生の持ち時間も少なくなってしまったようだ。
しかし、やはりなかなかうまくいかない。ここのところ、満足のできる仕事が一つもできないのである。

もしかしたら、慢性の病気になったためかもしれない。
しかし、あるいはやはり、力不足であったのだろう。
血糖値、戻す方法、水にこそあり。


食後に出てしまう尿糖は、なるべく早くなくす必要があります。
失明をしたり、脳梗塞・心筋梗塞などの原因になってしまうからです。

そこで、一度に多量を食べない注意が必要です。
しかし、食べてしまったときは、良質な水を多量に飲むことがよいでしょう。

なぜならば、水はいったん血液に入って、腎臓で濾過されるからです。
むろん、血液の量が増えると血圧はあがります。

しかし、不要な水分はすぐに尿となるので、そのときに不純物とともに、体外に排出されるようです。
水は、健康に重要な役割を果たすので、水道水をそのままがぶ飲みをしてはいけません。
大食いをすると、なかなか尿糖減らぬ。


ピザの大食いなどをすることがあります。
すると、その後は尿に含まれる糖が長く残ってしまいます。高齢になって、インシュリンの分泌が少なくなっているので、仕方のないことです。

そこで、私は水を多量に飲むことにしています。
つまり、水で身体を浄化しようというのです。

その水は、地下水をくみ上げて化学薬品などを除いたものを使います。むろん、塩素などの含まれていないものです。

すると、比較的早い時間で元に戻るのです。
身体のホメオスタシスは、原始時代から水によっていたことを垣間見る(かいまみる)次第です。
出来不出来(できふでき)、云々しても解決しない。


最初から、失敗をしようとする人はいないでしょう。
何事も、全力で当たりたいものです。

しかし、目的に向かってアプローチをする方法には、出来不出来があるようです。そして、その出来不出来そのものについて言っても始まりません。

日常の生活は複雑ですから、ここでは将棋で考えてみます。
相手と対戦をすると、ふつう結果は勝つか負けるかになるでしょう。
むろん、千日手などで、引き分けになることもあります。

自分が計画を立てて進んでも、相手のあることです。
相手の計画がわかれば、万全(ばんぜん)の構えができます。
しかし、現実としてはそれがなかなかわかりません。したがって、棋譜(きふ)の再現をしてみると、出来不出来も含めて反省ができるでしょう。


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