忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[336]  [337]  [338]  [339]  [340]  [341]  [342]  [343]  [344]  [345]  [346
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

カロリーの高すぎるもの、身体(からだ)に危険?


高齢になってくると、カロリーの高い食事をするのは考えものです。
なぜならば、運動量が減ってきているので、消化しきれないからです。
その結果、肥満になったり、糖尿病、さらには高脂血症など重い生活習慣病になるでしょう。

むろん、若くてスポーツ選手などは肉食や高カロリー食でも問題がありません。また、軍や自衛隊の人たちはカロリーの高い食事をしているようです。

それについても、すでに明治時代に森林太郎(森鴎外)という人が、医学的な立場から軍に指摘をしているのですが、幹部が西欧の列強国に負けない強い兵隊にしたいなどと考えて、愚かな決定をしたのがそのそも嚆矢(こうし)のようです。

とにかく、私は高カロリーを忌諱(きい)したいものです。
PR
ニモニック、五七七なら忘れられない。


古来、古事記のひえだのあれいのように、歌うようにして覚えたと言います。また、ギルガメッシュなどを初めとして、盲目のホメロスなどもそうじゃないでしょうか。
もしかしたら、平家物語の作者も?

そこで、短い五七七を記憶のニモニックとするのです。
ニモニックは、記憶のよりどころになる簡単な語句の場合が多いようです。

落語で、買い物に行くときに言葉を唱えているのですが、途中で変わってしまうという話があります。買う物の名前を口ずさんでいるのですが、橋を渡るときに「どっこいしょ」と言ったので、店に着いてから「どっこいしょ」をくださいというんです。

五七七では、そうなってもよろしい。
それが、「生きている証明」だからです。

これからも作っていこう! 知的空間。


知的空間などと言っても、大したことではありません。

知的空間

知的空間(その奥義)

を参照してください。

そんなことを五七七で、まとめていこうというのです。
あなたも、いかがでしょうか。
身の回り、整理してから、死んでゆきたし。


人生には、思いがけないときに、向こうから死が来るようです。
知人たちを見ていますと、私自身も「そうなる可能性が大」だということを思わざるをえません。

そこで、高齢になってもはや先行きが短くなると、日々の整理が肝要になってきます。整理と言っても、物品やお金のことではありません。

たいがいの人は、考え方やノウハウが不完全のまま朽ち果ててしまいます。つまり、後になってみると、多くの人のその考え方やノウハウは、何一つ残りません。

したがって、「生きている証明」とともに「生きていた証明」が必要なのです。
五七七、日本の調べ、自分の証(あかし)。


この五七七という短詞形は、連句の発句と結句を一緒にしたいわゆる「日本の調べ」のルーツと考えることができるでしょう。

そして、その雄大な歴史的背景のもとに、非常に小さいことであるかもしれないが、自分自身の存在の証(あかし)つまり「生きている証明」を行おうというのです。

そんな心構えで、この短詞形に当たることも、ときには必要かもしれません。
なぜならば、駄作に次ぐ駄作を行っていることがあるからです。

まぁ、ときには大いに反省をする必要がありそうですね。
いつの日か、記憶ばかりの日々になるらし。


これは、意味深長な句です。
なぜならば、作者が言葉をもて遊んでいるのではないからです。
おそらく「いつの日」というのは、「死後の状態」を言っているのではないでしょうか。

そして、ふつうに考えるように焼かれてしまったら「脳がないから、思考などできない」と安直に考えるのに対して、疑問をもっているのです。

つまり、肉体は物質ですが、心はエネルギーと考えているのです。
そして、エネルギーはなくなってしまわないで、別の形になって意識を継続するという心配をしているのです。

まぁ、取り越し苦労かもしれませんが、……

何かするときに、忘れず記憶に残す。


老いてくると、記憶が曖昧(あいまい)になりがちです。
そこで、何かをするときには、ちょっとした心の確認をして、記憶に残すようにしましょう。

呼称確認などが、実際の企業内で行われているようにです。
自分自身を一つの有機体だと考えれば、何かをしたときに、それが元になって結果を生じるからです。

「こんなはずじゃなかった」などと、後で思うことがあります。
しかし、冷静になって思い出すと、自分がその原因を作っていながら、そのことを忘れてしまっていることがあるのです。

そんなことのないようにしたいものです。

忍者ブログ [PR]