rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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少しずつ整理をしよう、不要なものを。
いつも思うのであるが、何とも身の回りに不要な物の多いことだろうか。おそらく一生の間、それを使わないと思われるものがある。若いころは、それでも可能性を秘めているので、それらに意味があったかもしれない。
しかし、古希を過ぎてみると事態は変ってくる。つまり、ガラクタや不要な知識の中で生きていることになるのだ。ゴタゴタと身の回りに多くあるのは、何とも煩わしくなってくる。
『一言芳談』に、「糂だ瓶(じんだがめ、「だ」は米偏に「太」)一つももつまじき」というような後世への戒めの記事があった。また、欲しがるよりも「捨つるが大事」とも。そこで、私も不要なものはばつばつ整理をしてゆこうと思う。もしかしたら、自分自身が不要となるかもしれない心配をしながら。
いつも思うのであるが、何とも身の回りに不要な物の多いことだろうか。おそらく一生の間、それを使わないと思われるものがある。若いころは、それでも可能性を秘めているので、それらに意味があったかもしれない。
しかし、古希を過ぎてみると事態は変ってくる。つまり、ガラクタや不要な知識の中で生きていることになるのだ。ゴタゴタと身の回りに多くあるのは、何とも煩わしくなってくる。
『一言芳談』に、「糂だ瓶(じんだがめ、「だ」は米偏に「太」)一つももつまじき」というような後世への戒めの記事があった。また、欲しがるよりも「捨つるが大事」とも。そこで、私も不要なものはばつばつ整理をしてゆこうと思う。もしかしたら、自分自身が不要となるかもしれない心配をしながら。
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