rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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恥ずかしい存在である自分があわれ。
今さらではあるが、自分自身のことを考えてみると、まったく恥ずかしいかぎりである。何をやっても満足にできない。また、やったことが中途半端。いいかげんに、我ながらいやになる。
しかし、少しずつでも考えをまとめていこうとしていることも事実。そんな中でいやになって、自分があわれであることが、もう一つ。それは身体というか、健康に関してである。
若いころは、まったく考えていなかった問題が身体に起こる。考えてみれば、すでに古希を過ぎているから、それはいたし方がないのかもしれない。元来、遺伝子はこのような長寿を過去に予想していなかったらしい。そんなことが、次第にわかってきた。あきらめてしまったほうが、早いのではないか。
今さらではあるが、自分自身のことを考えてみると、まったく恥ずかしいかぎりである。何をやっても満足にできない。また、やったことが中途半端。いいかげんに、我ながらいやになる。
しかし、少しずつでも考えをまとめていこうとしていることも事実。そんな中でいやになって、自分があわれであることが、もう一つ。それは身体というか、健康に関してである。
若いころは、まったく考えていなかった問題が身体に起こる。考えてみれば、すでに古希を過ぎているから、それはいたし方がないのかもしれない。元来、遺伝子はこのような長寿を過去に予想していなかったらしい。そんなことが、次第にわかってきた。あきらめてしまったほうが、早いのではないか。
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