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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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楽しみは、施無畏の中に存在をする。


楽しみや幸福は、どこにあるのだろうか。きっと、施無畏の行動の中にあるのではないか。施無畏(せむい)はもともと仏教の言葉で、仏や菩薩が衆生(しゅじょう)の恐れ心を取り去って救うことを言う。また、観世音菩薩のことを施無畏と言ったりもする。

しかし、ここでは無報酬で社会に奉仕をすることを施無畏と言う。施無畏者と言ってもよい。そのような行動は施無畏の幸福であろう。宮沢賢治の「雨にも負けず」の中に書かれているような東奔西走は、まさしく施無畏者の行動であるに違いない。いま私の身近には、渡邊師がおられる。

真の幸福や楽しみは、意外にも身近にあるものだ。「論語」には友だちが遠くから尋ねてきたりすることも楽しみであると書いてある。暗中模索をしてあれこれと求めるよりも、簡単なことでも社会に奉仕をすれば心が晴れやかで、幸福になれるのではないか。
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