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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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『海獣の子供』を読んで、異次元を知る。


五十嵐大介の『海獣の子供』三巻まで三冊を読んで、何となく異次元空間があるのではないかと思った。ファンタジックなストーリで、登場人物は
 安海琉花(あづみ るか)……話べただが積極的な中学生。
 海(うみ)……フィリピンの沖合いで保護された少年。
 空(そら)……海の兄と思われる。病弱で、入退院を繰り返す。
 ジム・キューザック……海洋生物学者。
 安海正明(あづみ まさあき)……琉花の父で、いま水族館に勤務。
 安海加奈子(あづみ かなこ)……琉花の母で、水族館に勤務していた。
たちである。

「琉」の字が「琉球」の「琉」であったり、空海(弘法大師)の「空」と「海」があったり、命名にもムーやアトランティスなどの意図があるのかもしれない。また、実話の「アマラとカマラ」や「アヴェロンの野生児」などにも思いが馳せる。
第四巻は、2009年に出るという。
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生きること、「自己再生」と言えばよいのか?


生きているということは、心臓や肺などの機能が、絶え間なく働いていることであろう。栄養は血液になって全身に運ばれ、細胞の一つ一つまでが常に更新されていくらしい。

しかし、精神的なこともそうあって欲しいと思う。
考え方などが固定化してしまうと、発展性がなくなってしまう。絶えずフレキシブルな状態が、日々好ましいのではないか。

つまり、心の中でも自分自身を入れ替えて、いわゆる更新をしていく。それは、「自己再生」と言ってもよいだろう。なぜならば、考え方が固定化してしまうと、柔軟な判断ができなくなる。いきおい、体調も崩れてしまうことが多い。
「自己再生」できるうちは、高齢になっても若いのである。
アルコール、飲めば飲むほど脳が縮小!


これまで、「少量の飲酒は健康によい」と考えられていた。
しかし、2008年10月ウェルズリー大学(米マサチューセッツ州)のキャロル=アン=ポールの研究チームは、神経学の専門誌(Archives of Neurology)に次のような研究結果を発表したという。

<アルコールを飲めば飲むほど、脳が縮小する>
<アルコールと加齢による脳容積の減少を食い止めることは不可能>

そして、酒を飲まなかった人は、いちばん脳容積の減少が少なく、次に飲酒をしていたが今は飲まない人、適度な飲酒をする人、現在大量に飲酒する人、という順序で脳容量減少の割合が大きくなっていくらしい。
脳の縮小は認知症をもたらすので、何ともおっかない話である。と、私(rik)は思う。
探偵のニール、モースもビールを好む。


テレビドラマのことなので、実際にその俳優がビールを好きなのかどうかはわからない。しかし、どちらも実にうまそうにビールを飲む。

ニール=ドルフは、かつて文庫本で読んだデブの探偵。蘭が趣味で、手入れのときは仕事をしない。そして、食事のときは必ずビールを飲む。テレビドラマでは、「グルメ探偵ネロ=ウルフ」となっていた。
探偵モースも、ビールが大好きである。

ん、でなぜこんなことを書くのか?
もしかしたら、ビールは脳を活性化するのではないかと思うからだ。
いずれの探偵も、推理がすばらしい。
で、そういうわけではないが、私も昼は吉野家で豚丼と瓶ビール。なお、豚丼はドクター中松が頭の回転にいいと言ったから。
そうならぬ前に、何とかしなければダメ。


何事もそうであるが、問題が大きくなる前に解決をしなければならない。
例えば、病気や火事、そして戦争などもそうであろう。
行き詰ってしまう前である。

わかりやすくするために、自殺を考えてみよう。
ある人が、思い悩んでビルの屋上から飛び降りた。そして、そのまま真っ逆さまに地上に落ちて死んでしまった。
この場合、落ちていく途中で仮に「やめたい」と考えても、ムリであろう。また、誰かが落下を停めて、助けるわけにもいかない。

少なくとも、まだ屋上にいて飛び降りる前であったら、計画を中止することができる。また、誰かに相談をすることも、そして思い直すことも可能。
しかし、落ちていく最中になっては「助ける」ことや「中止」することは、きわめて困難。大事でも小事でも、そのようなことを忘れないようにしたい。
チャングムとドクター=ベルの言葉に学ぶ。


ここのところケーブルテレビのドラマをよく見る。
いずれも数年前の再放送らしいが、例えば「チャングムの誓い」にある
チャングムの言葉。

<病は医者が治すものでなく、病人が治すものです。>

これは前半を言うと、王様がすでに覚えてしまって後半を言う場面があった。
また、「コナン=ドイルの事件簿」(#1ドクター・ベルの推理教室)でドクター=ジョセフ=ベルが言う言葉。

<いいですか、奥さん。病気に勝つことは、希望をもつことですよ。>

そんなことをドラマで聞くと、それもやはり事実だと思うのだが、……
難病や奇病もありて、さらに誤診も。


ここのところ、テレビで連続放映している「ER」「ドクターHOUSE」「チャングムの誓い」などを見る。実況ではなくドラマではあるが、医療の現場を窺い知ることができるから面白い。

一つの症状に対して、いろいろと原因を探っていく過程などが、実に興味深い。そして、いかに多くの病気の原因が体内に潜んでいることを知らされる。まったく、恐ろしい話である。

また、一方では医療に携わる人たちの間の葛藤のようなことも垣間見る。まったく驚いてしまうが、さもありなんということもしばしば。
現実とドラマでは異なっているかもしれないが、それでもドラマの中で多くのことが学べるのでありがたい。
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