rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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生きている証明の他(た)に、老化予防も。
この「新句」(十九音)は、いわゆる「生きている証明」なのです。
日々、自分が生存しているということの証明を「十九音」でしようと考えました。しかし、同時に「老化予防」の一環としても、大いに利用できるでしょう。
なぜならば、文章を作るということは、それなりに脳の活性化につながるからです。他愛のない幼稚な表現ですが、それでも語数が制約されるということは短詩形としての約束で、考慮をしなければなりません。
しかし、いわゆる文学作品ではないので、あまり芸術性に留意をする必要がないのです。気楽に作れるということが、この新句(十九音)の大きな特徴でしょう。俳句や短歌のような古くからの伝統がありませんので、それぞれが思い思いに作風を確立していくことができるのではないでしょうか。
よろしくお願いします。
この「新句」(十九音)は、いわゆる「生きている証明」なのです。
日々、自分が生存しているということの証明を「十九音」でしようと考えました。しかし、同時に「老化予防」の一環としても、大いに利用できるでしょう。
なぜならば、文章を作るということは、それなりに脳の活性化につながるからです。他愛のない幼稚な表現ですが、それでも語数が制約されるということは短詩形としての約束で、考慮をしなければなりません。
しかし、いわゆる文学作品ではないので、あまり芸術性に留意をする必要がないのです。気楽に作れるということが、この新句(十九音)の大きな特徴でしょう。俳句や短歌のような古くからの伝統がありませんので、それぞれが思い思いに作風を確立していくことができるのではないでしょうか。
よろしくお願いします。
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十九新句、十七俳句、三十一(みそひと)短歌。
古来、万葉の時代から短歌はあった。短歌が次々と続く形式や長歌、旋頭歌(せどうか)などの中で、単に和歌などと言う。
俳句は、連句から独立して芭蕉の時代に完成したらしい。
いずれにしても、短歌・長歌・今様・俳句・川柳などは難しい。
鑑賞はよいにしても、いざ自分で作るとなると実力がないから、なかなかできない。私(rik)には十七音では少し舌足らず、三十一音では冗長度を満足できない。つまり、やってみると短歌ではまとまりがなくなってしまうんだ。
そこで、この新句(十九音)なるものを考えた次第。
俳句の連句をするときの結句のような形をしているので、言い切るのに都合がよい。
いかがなものであろうか。
古来、万葉の時代から短歌はあった。短歌が次々と続く形式や長歌、旋頭歌(せどうか)などの中で、単に和歌などと言う。
俳句は、連句から独立して芭蕉の時代に完成したらしい。
いずれにしても、短歌・長歌・今様・俳句・川柳などは難しい。
鑑賞はよいにしても、いざ自分で作るとなると実力がないから、なかなかできない。私(rik)には十七音では少し舌足らず、三十一音では冗長度を満足できない。つまり、やってみると短歌ではまとまりがなくなってしまうんだ。
そこで、この新句(十九音)なるものを考えた次第。
俳句の連句をするときの結句のような形をしているので、言い切るのに都合がよい。
いかがなものであろうか。
金持ちの末路もあわれ、ハワード=ヒューズ。
一世を風靡して、世界中の富の半分をもった男。しかし、その最期は何となくエキセントリックで、哀れでもある。
ハワード=ヒューズ(Howard Robard Hughes, Jr. 1905~1976)は、アメリカの実業家であり映画製作者。また、飛行気乗りで20世紀を代表する大富豪として知られた。
しかし、晩年はホテルに引きこもり、細菌に感染することを恐れて、誰にも会わなかったという。そして、ティッシュペーパの箱二つに片足ずつを入れて、靴の代わりにして歩いていたらしい。その後、アスピリンの長期摂取のため、腎機能がダメになって、ガタガタな身体で七十歳で死んだ。
アスピリン(Aspirin)はアセチルサリチル酸の薬品名で、解熱・鎮痛薬。もとは商標名だった。
一世を風靡して、世界中の富の半分をもった男。しかし、その最期は何となくエキセントリックで、哀れでもある。
ハワード=ヒューズ(Howard Robard Hughes, Jr. 1905~1976)は、アメリカの実業家であり映画製作者。また、飛行気乗りで20世紀を代表する大富豪として知られた。
しかし、晩年はホテルに引きこもり、細菌に感染することを恐れて、誰にも会わなかったという。そして、ティッシュペーパの箱二つに片足ずつを入れて、靴の代わりにして歩いていたらしい。その後、アスピリンの長期摂取のため、腎機能がダメになって、ガタガタな身体で七十歳で死んだ。
アスピリン(Aspirin)はアセチルサリチル酸の薬品名で、解熱・鎮痛薬。もとは商標名だった。
うねうねと連なる多摩の横山ゆかし。
私(rik)のいる部屋から、目の高さに多摩の横山が見える。かつてはもっと高かったのであるが、桜ヶ丘の分譲地を造成したときに削られてしまった。
八王子の横山町あたりから、是政の多摩川南側まで連綿と続いていたらしい。『万葉集』巻二十(四四一七)に宇遅部黒女の短歌がある。
<赤駒(あかごま)を 山野に放し捕(と)り不得(かに)て 多摩の横山 歩(かし)ゆか遺(や)らむ>
「ゆかし」は「ゆかしい」の文語形。(自信がないが、だと思う) 「床しい」とか「懐しい」などと当て字を書く。(これもうろ覚え)
ふつう、なつかしく感じられたり、昔がしのばれること。また、好奇心が生じて、見たり、聞いたり、欲しくなったりすることを言う。『竹取物語』の中で、かぐや姫が言い寄ってきた五人の男たちに、
<ゆかしき物を見せ給へらむに>
と言って、プロポーズを受ける態度を示した。
私(rik)のいる部屋から、目の高さに多摩の横山が見える。かつてはもっと高かったのであるが、桜ヶ丘の分譲地を造成したときに削られてしまった。
八王子の横山町あたりから、是政の多摩川南側まで連綿と続いていたらしい。『万葉集』巻二十(四四一七)に宇遅部黒女の短歌がある。
<赤駒(あかごま)を 山野に放し捕(と)り不得(かに)て 多摩の横山 歩(かし)ゆか遺(や)らむ>
「ゆかし」は「ゆかしい」の文語形。(自信がないが、だと思う) 「床しい」とか「懐しい」などと当て字を書く。(これもうろ覚え)
ふつう、なつかしく感じられたり、昔がしのばれること。また、好奇心が生じて、見たり、聞いたり、欲しくなったりすることを言う。『竹取物語』の中で、かぐや姫が言い寄ってきた五人の男たちに、
<ゆかしき物を見せ給へらむに>
と言って、プロポーズを受ける態度を示した。
仕組まれた現実の世は、空しかるべし。
結婚式の式次第のように、人生もあらかじめ仕組まれているのかもしれない。そんなことを何となく、ふと思うことがある。そしてその結果が、もしかしたら自分自身がわかっていないだけだと、つくづく感じる場合も多い。
つまり、ビデオを見直すときのように、同じ場面にふたたび遭遇する。すると、前に見たときのことを知っているので結果がわかる。そのためか、初回のときのような感激や驚きが、あまり大きくはならない。
私たちの人生は、一連のビデオのようになっていて、喜怒哀楽を伴って起承転結を繰り返すのではないか。そして、巻き戻しのようなことを何回かして、終わってしまう。
最近になって、私(rik)を含めて社会全体が、何となく仕組まれたシステムの上を走っているような気がしてならない。
あなたは、そんなことを感じませんか?
結婚式の式次第のように、人生もあらかじめ仕組まれているのかもしれない。そんなことを何となく、ふと思うことがある。そしてその結果が、もしかしたら自分自身がわかっていないだけだと、つくづく感じる場合も多い。
つまり、ビデオを見直すときのように、同じ場面にふたたび遭遇する。すると、前に見たときのことを知っているので結果がわかる。そのためか、初回のときのような感激や驚きが、あまり大きくはならない。
私たちの人生は、一連のビデオのようになっていて、喜怒哀楽を伴って起承転結を繰り返すのではないか。そして、巻き戻しのようなことを何回かして、終わってしまう。
最近になって、私(rik)を含めて社会全体が、何となく仕組まれたシステムの上を走っているような気がしてならない。
あなたは、そんなことを感じませんか?
不可解な現象多く、限界を知る。
この世には、理解しがたいような現象があまりに多い。科学が進み、学問が細分化した今日でも、説明のできないようなことがある。もしかしたら、私たち人類とは異なる知的生命体がいるのではないかと思うことさえある。
また、際限のない抗争を繰り返しているのも不思議である。
原始時代と比べると、すでに現代の生活は夢のような状態。それでも、次から次へと新しいものができる。
すでに豊かな社会なので、ある程度の要求は満たされている。したがって、こころの豊かな社会が実現してもよいのではないか。
次から次へと争いが生じるのは、いったいどうしたことだろう。
「かえるの腹自慢」や「オケラのきんたま」のように、何となく影の支配者に「やらせ」られているのではないか。
この世には、理解しがたいような現象があまりに多い。科学が進み、学問が細分化した今日でも、説明のできないようなことがある。もしかしたら、私たち人類とは異なる知的生命体がいるのではないかと思うことさえある。
また、際限のない抗争を繰り返しているのも不思議である。
原始時代と比べると、すでに現代の生活は夢のような状態。それでも、次から次へと新しいものができる。
すでに豊かな社会なので、ある程度の要求は満たされている。したがって、こころの豊かな社会が実現してもよいのではないか。
次から次へと争いが生じるのは、いったいどうしたことだろう。
「かえるの腹自慢」や「オケラのきんたま」のように、何となく影の支配者に「やらせ」られているのではないか。
霊魂は不滅か否か? 三橋氏の説。
私が尊敬をしている三橋伝三郎さんの書かれた『神仏の恵み』には、
<これは昔からの大問題である。霊魂の存在、存続を認めないと人生は不合理になるということで、その存在を認めた哲学者があったようだが、一般人には納得しかねよう。その存在を認めざるを得ない事実を知れば、詳細は分からぬとしても、その存在を疑えなくなるだろう。>
とある。
まったく断定などをしないで、その文章通りだとつくづく思う。
学生時代に読んだ西田幾多郎『善の研究』にも、そのようなことが書かれていた。もしかしたら、霊魂でなく宗教となっていたかもしれない。
とにかく、あるかないかの問題は「ない」と片付けてしまうのではなく、「あって」もよいようにフレキシブルに考えておくほうがよいのではないか。来るか来ないかわからない地震に、しっかりと備えておくように、……
私が尊敬をしている三橋伝三郎さんの書かれた『神仏の恵み』には、
<これは昔からの大問題である。霊魂の存在、存続を認めないと人生は不合理になるということで、その存在を認めた哲学者があったようだが、一般人には納得しかねよう。その存在を認めざるを得ない事実を知れば、詳細は分からぬとしても、その存在を疑えなくなるだろう。>
とある。
まったく断定などをしないで、その文章通りだとつくづく思う。
学生時代に読んだ西田幾多郎『善の研究』にも、そのようなことが書かれていた。もしかしたら、霊魂でなく宗教となっていたかもしれない。
とにかく、あるかないかの問題は「ない」と片付けてしまうのではなく、「あって」もよいようにフレキシブルに考えておくほうがよいのではないか。来るか来ないかわからない地震に、しっかりと備えておくように、……