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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「振り込め」はルール違反で、悪い世の中。


「振り込め詐欺」が大流行している。騙すほうも巧妙になっているが、騙されるほうもその被害が多くなっているという。とくに、高齢者の被害が増加しているらしい。

しかし、そのような犯罪は恥ずかしいことである。
犯罪を行う人、つまり犯人は世間に対して自分の非人格や恥を公開しようとしている。また、そのような犯罪が流行する社会自体が、恥じるべき状態。

プロレスの試合。次々と救急車が来て、多くの死人が出たりはしない。力道山は、リンクの外の不注意で亡くなった。リンク上では、最低のルールを守るからだ。『荀子』だったか、幼児がよちよちと井戸のほうに歩いて行って落ちそうになる。そばに居た人が、慌てて救い上げる。基本的な人情だからだ。
『蜘蛛の糸』のカンダタや聖ペテロの母などは、創作なのではないか。
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最近は、公徳心とモラルの欠如。


公徳心は、公徳つまり「社会生活の中で守るべき道徳」を重んじて守ろうとする精神のこと。モラル(moral)も道徳ではあるが、倫理つまり「善悪・正邪の判断において普遍的な規準」のような基本的なものであろう。

現代社会は技術が高度に発展をしたが、金がすべてであるような風潮になって、公徳心、モラル、そして礼儀なども欠けてしまったようだ。政治家・公務員・教職員なども、その傾向にある。

そんなわけで小学生や中学生も、いきおいそうなってくる。
パソコンや携帯電話など技術の最先端をいく道具の使い方なども、かなり大きな問題を含んでいるようだ。
ある程度、公徳心やモラルの教育も学校でして欲しいものだ。

老いたらば求められないことは、ほどほど。


あれもしたい、これもしたいなどと考える。
若いころは、それでも力任せ(ちからまかせ)にやったから、何とかできた。しかし、老いてくるとスタミナが続かなくなってしまう。

その結果、中途半端になったり「百舌の速贄」(もずのはやにえ)になりがち。仕方のないことであろう。

そんなために、自分自身に言い聞かせる。しきたりになっていることは何とかするが、求められもしないことを次々と際限なくするのは、愚かなことである。それは、「蛙の腹自慢」と同じじゃないか。むしろ、老化予防を目的とした自分自身のためにするほかは、あまり深入りをすべきではないんだ。
精神的にも、ある程度「足るを知る」ことが必要なのではないか。
常温で腐敗をしない食べ物、注意!


私(rik)は、常温でも腐敗しない食べ物には注意をしている。その結果、なるべく食べないようにしていることも事実。野菜、果物などは早めに食べる。

醤油などは、テーブルの上に置いても腐敗しないものは避ける。開栓後は冷蔵庫に保管する注意書きのあるものしか使わない。ついでながら、味噌・マヨネーズ・トマトケチャップなどは、私の家には置いていない。

近年になって食中毒や食品の腐敗について、消費者の間で騒ぎすぎる傾向がある。そんなために、メーカーは防腐剤を入れざるをえない。そもそも牛乳が常温で保存できるなどということは、どう考えても不思議なことである。
私はあまり食べないが、肉から作るハムや魚から作るカマボコなどが常温で痛まないなどということも、それなりに理由があるのであろう。
雨安居(うあんご)といいて、部屋にて瞑想をする。


私(rik)は、雨が数日続くときに、自分なりに雨安居(うあんご)などと言って、部屋にこもって瞑想をすることにしている。必ずしも、梅雨のときでない。
本来の雨安居は、インドで夏の三ヶ月間に雨が多いので、僧侶が外出を避けて部屋で修行をすることをいう。その期間を一夏(いちげ)といい、雨安居・夏安居(げあんご)などともいう。

いずれにしても、私は僧侶ではないので瞑想と言っても、かなりいいかげんなもの。いちばん多いのは、自分自身が宇宙に溶け込んだ状態を想像する。気ままに飛び回ることも、空想の中では可能だ。そんなことをしていると、何となく楽しい。

いったい、何が現実なのであろうか。そんなときには、いつも『荘子』の「胡蝶の夢」を思い出す。
目立つより隠れたほうが、ベターと思う。


多くの人が、「有名になりたい」「目立ちたい」と考える。さらにまた、「金持ちになりたい」などとも考えるようだ。しかし、それは脳のもたらす幻影で、虚栄心というものであろう。例えば、芥川龍之介の『杜子春』や宮沢賢治の『どんぐりと山猫』などを読んでも、何となく気持ちがわかる。

実際に有名になったり、金持ちになったことのない私(rik)が言っても、誰からも信頼されないだろう。しかし、ちょっと考えたら金持ちや有名人の煩わしさはわかる。

そこで、自分なりに『黒い革袋』なる小品にまとめてみた。そのことを忘れないように、自分に言い聞かせるためである。つまり、「自己福音書」。




争いをなるべく避ける日々のなりわい。


「生業」(なりわい)とも書くように、生きていくうえには利害関係が対立して、どうしても争いが生じてしまうらしい。また、宗教や政治などでも、考えが異なると争いが生じる。

そんなことを考えると、人間同士は困った問題をかかえているようだ。
イスラエルとパレスチナなども、古くからの関係を引きずっているのではないか。旧約聖書に出てくる、サムソンとデリラの時代から、すでに問題はあったようだ。つまり、サムソンはユダヤ人、デリラはペリシテ人であった。そして、ペリシテ人は現在のパレスチナ。三千年以上も互いにトラブルを継続してきたので、なかなか解決をしない。

私(rik)は最近になって、あまり人と付き合わないようにしている。本当は山にこもって、自給自足の生活をしたいところだが、そうもいかない。さらに、自分自身の中でも争いが生じない工夫を始めた。
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