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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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よいよいにならねばよいと、いよいよ思う。


ここ二年で、次第に体調を崩してしまった。
そして、いよいよ現実の問題として「よいよいにならなければいいなぁ」などと思うようになった次第。なぜならば、私は父と母から、その遺伝子をいただいているからである。
父は脳梗塞で倒れて、その翌日死んだ。また、母はやはり脳出血で片麻痺(半身不随)で入院、そしてリハビリをしたものの甲斐がなく間もなく死亡。そんな家系に私はあるので、大いに心配。

よいよいや寝たきりには、何としてでもなりたくない。
そのために、いろいろと調べたり、やってみたりしている。

もともと、『青空のホームページ』は「健康」と「老化予防」、さらには欲張って「安心立命」のために始められたものだ。
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ソリティアは、老化予防に好ましくあり。


あなたは、ソリティアというトランプの一人遊びをご存知でしょうか?
全カードを赤黒のカード交互に、マウスをドラッグして数の逆順に並べていき、占いや運勢などを自分なりに調べるゲームです。持ちカードのあるタイプでなく、私は単純なすべてめくりカードになっているのをします。

なかなか手順を説明するのはむずかしいものですね。
「百聞は一見にしかず」と言います。
そこで、ここをクリックして、ご自分でやって確かめてください。ここに紹介した優れものは、GAMEDESIGN社さんの無料ソフトです。

パソコン作業の合間などに、気分転換の意味も含めて、私はときどきします。三回分のチップを用いて、いつまでもすることのないようにして、老化予防のための有効なツールとして活用させてもらうのです。

いつも飲む中瓶のビール、とてもおいしい。


入院・手術をしてから、体力をカバーしなければならなくなった。なぜならば、体内のパラサイトがなかなか陰性にならなかったからだ。そこで、長年やったベジタリアンを放棄した。つまり、肉食を始めたわけである。

しかし、家庭では肉食ができない。電子レンジなどの調理道具がないからである。そんなわけで、外食をする。例えば、吉野家。いつも、プチさん(プティ散策)を終えて、午後2時ごろに行く。ガラガラなことが多い。

たいがい、豚丼と中瓶ビール。牛丼は、めったに食べない。豚肉が脳の活性化によいと中松氏が言っていたから。ビールは、自然水を使ったサントリーの500ml。大瓶は633mlであり、ちょっともてあます。中瓶しか置いてないので、やれやれ。
そんな意味で、吉野家は私のような菜食主義だったものにありがたい。
恥ずかしい存在の我、やめたくもあり。


いままでのことを考えると恥ずかしいことがあまりに多い。失敗と後悔の連続である。思い出して、いたたまれなくなることもしばしば。大声を上げたくなることさえある次第。

考えてみると、何をやっても中途半端だった。いいかげんなことばかり。自分自身ではがんばったつもりではあるが、やはり力量が不足していたのだろう。

そんなわけで、自分の存在自体が恥でさえあると考えざるをえない。しかし、いまからやりなおすわけにもいかないので甘んじたり、諦めてしまう。
そして、次第に消極的になる。つまり、自分自身の可能性を自ずから放棄してしまうんだ。古希を迎えるにあたって、消極的にならざるをえない。
何とかならないものか。

何となく、失敗ばかり続けてきたり。


考えてみると、幼いころから今日に至るまで、何となく失敗ばかりを繰り返してきた人生でもあるようだ。それでも、淘汰をされずに生きてきたので、我ながら不思議でもある。

いろいろと反省をすることが多い。
しかし、若い時代は過ぎてしまって、身体の具合が悪くなっている。そんなわけで、いきおいムリが効かない。
高齢になってからは身体そのものではなく、むしろ精神的な楽しみ方が必要になるのかもしれない。

橘曙覧の『独楽吟』や神沢杜口の『翁草』などを読むと、高齢にもそれなりの楽しみが多くあるみたい。
ぼつぼつ、そのようなことを学んでみようか。

階段を降りるときには、注意をすべき!


若いときはともかく、高齢になると階段はかなり要注意!
登るときはいいが、降るとき。まず、転ばないようにしなければならない。還暦を過ぎた人が転ぶと、骨折をしかねない。骨がもろくなっているからだ。
また、膝に障害が出てくる。それでなくても、膝の関節が減って痛みかけているので、負荷をかけることは禁物。できたら、一段を二歩で降りるくらいがよい。若いころは、二段づつかけ登ったり、かけ降りたりしたのに、まったく衰えてしまったようだ。

さらに、手摺のあるところでは、手をかざしていつでも掴まれるようにしておくことが必要。ポケットに手を入れたまま、階段を降るというようなことは無用心・危険きわまりない。
なるべく事故や怪我から遠ざかりたいものである。
「無意味論」などということ、考えており。


すべてのことに意味づけをして考えるのが、近代科学の動向のようである。
また、科学の進歩によって先端技術が大幅に進んだ。
まったく、すばらしい時代である。

しかし、いくら遺伝子の構造がわかっても、例えばヒトについてわかるだけ。つまり、「なぜ自分があるか?」とか「なぜ自分はヒトであるのか?」などということはわからない。

さらに、「死んだらどうなるのか?」などということについては、高度な次元で考えると、何となく納得できないのも事実。
もしかしたら、各自が脳のもたらした幻影に惑わされているのかもしれない。そんなことを考えると、何とも心細い限りである。
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