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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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疎ましく、不要なものは持ちたくもなし。


「人生のしがらみ」とでも、言ったらよいだろうか。
「しがらみ」は、「柵」からきている。川の水流をせき止めるために、杭(くい)を打って、木の枝や竹などを横に取り付けたものが柵。そこから、まとわりついたり、じゃまをするものを「世間のしがらみ」などと言うようになったらしい。つまり、「しがら(柵)む」という動詞の連用形である。

「疎ましい」は、いい感じがしないので遠ざけたい気持ち。つまり、イヤなのである。恐ろしかったり、気味が悪いこともある。つまり、しがらみでもつことになった品物のことだ。

パソコンのツールも同じ。ツールというか、ソフトの断片。そんなものが増えていくと、何とも効率の悪いシステムになってしまう。

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どう見ても、やらせはやらせ、空しかるべし。


テレビを見ていると、やらせ番組がかなりある。面白くしようとして企画した結果であるが、実際には面白くない。からくりが、わかってしまうからである。

何かを言ったりしたりすると、「それは知っている」としたり顔にいう人がよくいる。私は、それを言うほど愚かではない。しかし、結果を視聴者に暗示するような番組は、すぐに飽きてしまう。なぜならば、相手の意思で動かされているからである。

「やらせがいけない」などと言っているのではない。私が言いたいのは、個性を奪ってしまうような方法を報道が用いるのは、困ったことだということ。

中には、笑う箇所まで指定するような愚かな番組があるという。
だんだんと負荷重くなり、のろのろとする。


老いてくると、何となく身体(からだ)が重い。そこで動きが鈍くなって、のろのろとする。それは、誰にも言える事実であろう。

しかし、ここで言っているのは身体のことではないんだ。
実は、私のこのパソコン。ノートパソコンでは負荷が大きいと考えて、DELLの「DIMENSION 8400」を入れたのは、すでにかなり以前。最初サクサクと動いていたのだが、いつの間にかそれも重くなってしまった。

ディスクのデフラグなどガベージコレクションやファイルの再配置などをするのだが、なかなか結果は改善されず、うまくいかない。面倒なもんだ。

やはり、さらに大型で高性能のものを入手する必要があるのだろうか。動きが鈍くなった理由は、何となくウイルス対策などのムダが多いシステムになってきたような気がする。
龐居士(ほうこじ)とフランチェスコは、垂涎の的。


龐居士(ほうこじ)とフランチェスコがしたことは潔(いさぎよ)く、かねてから私はうらやましく思っている。そして、自分もそうありたいなどと、いつも思うのではあるが、……

龐居士(ほうこじ)は参禅を始めるときに、家財道具をすべて荷車に載せて崖の上から海に捨てた。誰かが「困った人に施せばよいのに」と言うと、「自分自身に好ましくないものを他人に与えることはできない」と答えたらしい。

フランチェスコは自分が信仰に入るときに、敷物や衣類などの商品をすべて窓から投げ出して捨て、貧しい人に施したと書いてあった。

「垂涎(すいぜん)の的」は連語になっているが、「何としてでも手に入れたい貴重なもの」ということではなく、私の場合はむしろ「何とか真似をしたい羨(うらや)ましいこと」と言った意味。
脳のもつ不思議と不気味、うすうすわかる。


今までに「なぜ人間が愚かしいことをするか?」などと、いつも考えてきた。しかし、正直言うと「人間が」じゃない。考え始めた動機は、「私が」なのである。
私は学者ではないので、あまり学問には興味がない。しかし、自分自身のトラブルに対しては、興味どころか現実の切実な問題!

そこで、考えているうちに奇妙な結論に達した。
そして、あまりにもとっぴな事実なので、自分自身でも疑わしいのである。考えていることの整理と検討をするために、
  脳の不思議(脳の不思議・脳の不気味さ=私の宇宙(脳が考える時間・空間」))
とう長ったらしいテーマで、恐る恐るまとめているところ。

そのようなことは、一般の人たちの誰にもわかっていないらしい。あたかも、養鶏場に飼われているニワトリのように。


広大な宇宙を思い、慄然とする。


広大な宇宙に思いを馳せるとき、なぜか心が慄然とする。
「慄然」とは、言葉通りに「恐れおののいたり、恐怖でぞっとする」ような感覚である。また、「宇宙」とは『淮南子』(えなんじ)によれば、「宇」が天地四方で「宙」が古今往来である空間と時間の広がりだが、私は単にマクロコスモスとミクロコスモスを意味する。

つまり、すべてを含む無限の空間と時間の広がりと内面の微小な世界だ。
あまり勉強をしていないので、哲学や物理学的、そして天文学などの定義がどうなっているかはわからない。

しかし、パスカルが『パンセ』でも言っているように、それを思うだけでも心が慄然とする。それと同時になぜか私には、とくにミクロコスモスについての慄(おのの)きが増してくるのである。
HPで知識を整理、集大成する。


ホームページを作るということは、どういうことであろうか。
私の場合は、自分自身の知識を整理する場所、そして集大成をするツールと考える。したがって、あまり立派な内容ではない。

多くの訪問客があるホームページであったら、内容が完全であらねばならないだろう。このホームページのような少しずつ仕上げていくようなやり方は、訪問してくださる人に失礼かもしれない。

むろん、見てくださってもかまわない。内容が、とくに秘密ということではない。ただ、未熟な内容で、ホームページの書式なども素人まがい。そんなために、何とかならないかとも考えている。

せめて、デザインだけでも垢抜けた格好よいものにしたいものだ。
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