忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今朝も、そうであるが、なせか膝が痛い。法華クラブから藤沢駅まで、小雨の中を足を引きずるようにして歩いた。五分程度の歩行だったので、我慢ができた。小田急の新宿行き急行に乗って、座ったとたんに、何とか我慢ができるようになった。
おそらく、私の膝の関節がすり減ってしまったためであろう。しかし、前に整形外科に行ったときは、痛み止めの薬を処方されたり、電気マッサージや空気マッサージなどをしただけである。膝から、水を抜く手術があるらしいが、それも数回しか効かないらしい。
これだけ、科学や医学が発達しているのに、関節の痛みを除くような基本的な手術は、大学病院などでは、まだできないのだろうか? 何となく、私にとっては、不思議なことである。
PR
私と妻が、法華クラブを利用する理由は、簡単である。ビジネスホテルとして快適で、料金が格安だからである。簡単なロビーがあるだけで、面会用の大きなフロアなどはない。だから、気軽に利用ができる。
私も妻も、日蓮宗ではないし、また仏教徒でもない。さらに、クリスチャンでもない。つまり、無宗教である。それでも、抵抗なく泊まれるのであるから、素晴らしいホテルである。また、加古川の製紙会社に勤めていたころ、大阪出張の際に、何回も利用した。講習会などが、数日に続くときなどで、会社が予約をしてくれたのである。
ついでながら、龍口寺のこと。私は、立正大師(日蓮)を参拝するために行くのではない。寺の雰囲気が好きだからである。また、延寿の鐘というのがあって、いつでも突けるのである。おごそかな、美しい響きの鐘で、素晴らしい。誰でも、また何時でも突ける鐘がある寺は、非常に少ない。むろん、除夜の鐘は、多くの人に開放される。中には、壱百八などという数に関係なく、朝まで突けるところもある。
また、五十年前に、たまたま沢田研二がロケに来ていたのに出会った。そんな思い出もあるので、妻は懐かしいと言う。まだ、長男も長女も学校へ上がる前で、腰越の津村に住んでいたころのことである。
日医大に入院をしたときのことを考えると、最近になって自信がなくなった。つまり、いつまで日々の生活を続けていられるかという疑問である。ある日、突然に倒れてしまったら、それで終わりではないか?
この日々記録の断片も、そこで終わりになってしまう。したがって、いくら続けていきたいと思っても、入院中には、できない事情にあった。
そんなことで、あまりキリのない作業は、この辺で、思い切って止めてしまうことがよいのではないか。つまり、荘子で言うように、有限の身で、無限のことを追いかけていくのは、無理なのである。とくに、老いた身では、……
右のブログ内検索ボックスに「キリのない」と入れて検索をしてみると、今までの記録も出てくるので面白い。
何回も、手前味噌ではあるが、この五七七というリズムは、私にとってメモや覚えとしては、最適である。なぜならば、俳句などと比べて、実に簡単であるから。やってみると、何句でもスラスラとできてしまう。
そんなわけで、私は自分自身の「生きている証明」として、毎日一句を残している。むろん、それは芸術作品などというものではないだろう。それでも、いいのである。
こんな便利な方法を発見できたことは、自分自身にとっても素晴らしいことである。それでも、ときどき下記を見て、自分自身で確認をすることがある。あまり便利すぎるからである。
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/nyu_577.html
ここのところ、あまり変わったことがない。旅行をしたり、知人に会ったりすることが、めっきり少なくなった。その代わり、リハビリのために散歩をしたり、温泉に行ったりするのである。
散歩は、豊ヶ岡北公園が多い。部屋と地続きである。温泉は、極楽湯かせいぜい王様のお風呂、いずれもバスで数分。したがって、あまり激しい運動はしない。しかし、それでも疲れが出て、夜はぐっすり寝られる。
時には、帰りに二十巻ほどの寿司を買って、部屋に戻ってから、酎ハイで一杯する。すると、ぐっすりと眠ってしまう。若いころにはなかったような、日々の生活である。こんなことは、記録しても意味が無いかもしれない。しかし、この「日々記録の断片」は、私の日々の習慣なので、このような記事ができる。高齢になったら、それでもよいじゃないか?
最近になって、脳梗塞で死ぬ人が多い。血液が詰まってしまうらしい。
よく「血圧が高い」と言うが、心臓の拍動が強くなったわけではない。おそらく、血液がドロドロになって、血管抵抗が増えたために、血圧が上がっていると思われる。つまり、血管内で血液の流れがスムースにいかない。
そんなために、簡単な解決法がある。水を飲めばよいのである。私は、オシッコをしたときに、その後でコップに半分くらいの水を飲むようにしている。血液が流れにくくならないようにである。
むろん、血圧を下げる薬はある。医者に処方をされているので、それを飲む。しかし、それだけで安心できるわけではない。やはり、循環器系の疾患は、心臓自体にあるのではなく、全身の血液にあると考えて、対処をしていくのが、よいのではないか? いかがなものであろう。
前に住んでいた聖蹟桜ヶ丘ビュータワーの家賃が払えなくなったので、同じ多摩市の豊ヶ丘にある公団の賃貸住宅に引っ越した。家賃は半額以下になって、十万円以下である。何とか年金で払える金額なのでやれやれ。
でも、豊ヶ岡北公園に隣接していて、緑の多いところである。玄関の外に、覆い被さるように、公園の木々が茂っている。そんなために、風の強い日は、木々のざわめきが聞こえてくる。静かな日には、ウグイスやヤマバトが鳴いている。
多摩センタ駅ーや永山駅に出るのは、ミニバスがあって老人は無料。ありがたい話である。前のように駅前ではないから、気軽に出かけられない。前のところは、エレベータで降りると、コモディいいだというスーパーがあって、雨の日も傘なしで買い物ができた。そんなことを考えると、かなり不自由になったが、金も使わなくなった。妻も、満足している。年金生活者は、質素で日々のどかな生活のほうがよいと思う。
忍者ブログ [PR]