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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ここのところ、記憶力が鈍ってきたみたい。何となく忘れっぽくなったり、度忘れをしたりする。古稀を過ぎたのだから、仕方のないことであろうか。
しかし、高齢でも素晴らしく物覚えのよい人もいる。渡邊五郎師は、細かいことなどでも、体系的に覚えておられるので、私はいつも感心をしてしまう。
私の場合は、何となく記憶力が鈍ったのではないだろうか。つまり、脳の機能が衰えたのではないかという心配がある。
アルツハイマー病や恍惚の人などの場合、脳の機能は、いったん衰えると回復をしないようである。したがって、そうならないような生活習慣を付けておかなければならない。
つまり、水・空気・食べ物などに注意をするとともに、日々の生活習慣なども改めなければならないでしょう。
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健康法の一つの方法として、オシッコやウンコを利用する方法があるらしい。
地震や事故で生き埋めになった人が、自分の尿を飲んで助かったケースがある。また、海上でヨット遭難のときも、オシッコで助かった人もいる。ふつう、健康な人のオシッコは、清潔である。尿道や腎臓に故障がなければ、飲んでも問題がないらしい。「ラップリン」という療法があるし、宇宙飛行士なども、船内でオシッコの再利用をしている。
時宗の開祖、一遍上人は、病気がはやったときに尿を竹筒に入れて配布したらしい。民衆が競って、それを求め「よろず病の薬」と呼んだという。
しかし、ウンコには大腸菌などがいるので、不潔である。ウンコを食べたりすると、病気になる場合がある。しかし、それも一般常識であって、朝鮮の「トンスル」はウンコが主原料の飲み物である。実際に確かめたわけではないが、何となく無気味である。
国民の習慣性によるので、いちがいに言えないが、オシッコはOKでも、ウンコはダメと覚えておきたい。
久々に、眠狂四郎を見た。市川雷蔵の版である。
眠狂四郎魔性剣 1965 http://youtu.be/dxzMuN8DNMM である。なかなか面白い。あたかも市川雷蔵が、眠狂四郎になったみたいである。役者という職業は、ある人物の役をしたときに、様になっているかどうかで、かなり評価が分かれるところであろう。
かなり以前に見たときは、田村正和が眠狂四郎になっていた。市川雷蔵と違った、魅力があったことを覚えている。
しかし、私にとって、誰が眠狂四郎であるかは問題でない。また、ストーリ自体にもあまり、こだわらない。なぜならば、自分なりに映画を見ながら、自分なりのあらすじを構築するからである。そんなときは、眠狂四郎という名前では、印象が異なってしまう。それで、自分なりに如月次郎(きさらぎじろう)という名前を使っている。
ここのところ、この日々記憶の断片に、何となく愚痴ばかりを書いてしまう。なぜならば、身体の調子が悪く、生活も思うようにできないからだ。年金生活者ではあるが、それでも何とか生活を維持している。
前の聖蹟桜ヶ丘ビュータワーの家賃が払えなくなって、同じ多摩市の公団の賃貸住宅に引っ越したのだが、生計は楽になったが、不便なところである。前のように駅前で、雨が降っても駅まで傘なしで行けた場所と比べると、何となく不便。
多摩センター駅と永山駅の中間にあって、いずれもバスを利用して出かける。近くに公園があって、木々が茂り、空気のよいところであるが、部屋にじっとしているわけにもいかない。
ときどき、友達が車で来てくれる。ありがたい話で、そんなときに外出をお願いしたりする。バスで駅まで出ることも多いが、何となく面倒くさい。そんなわけで、つい愚痴っぽくなってしまう。
最近になって、身の回りのものが、次々と壊れ始めた。このDELLパソコンもそうであるが、ラジカセや時計なども、そうである。だいたい古くなって、寿命がきたようなものが多いが、そうでないものもある。
壊れたものは、とくに必要でない場合、やめてしまう。しかし、どうしても必要なものは新品を買う。昔のように、修理に出すことは少なくなった。
自分自身の身体についても、ぼつぼつ壊れ始めたのではないかと思う。体温が調節しにくくなったり、すぐに疲れてしまう。何となく、機器のバッテリーが老化をしたときと似ている。身体全体というわけではないが、もはやそうなると活発な活動ができない。品物のように、自分をやめてしまうことができないので、病院に行ったり、薬に頼ったりする。しかし、修理できない道具と同じように、身体も快調にはならない。そんなわけで、諦めてしまうことも多い。
鎌倉の思い出は、多い。
(1) 扇ガ谷(おうぎがやつ)
 小学校に入る前に、鎌倉市扇ガ谷に住んでいた。鎌倉駅から、北鎌倉方向に坂を上がったところ。その坂のてっぺんには、海蔵寺があった。隣の家は、金子さんと言って、流鏑馬をやっていた。太郎さんと言う子かいて、よく遊んだことを覚えている。迎えには、市川さんと言う学者がいて、二人のお嬢さんがいた。下の子は、白百合学園に通っていて、美しい子だった。
http://www.riksys.com/riko/sakusya_all.html の最初のほうに、関連記事があります。
(2) 大仏切り通し
 現在は、同じ名前で自動車用の大きなトンネルになっている。しかし、私が子供のころは、大人がようやく通れるほどの短いトンネル。佐介のほうから、長谷に出るためには、よく利用した。トンネルが終わって、パッと明るくなるのが、今でも印象的である。
(3) 千代平
 今でも銀座通りにあるが、看板は「ちょっぺい」となっていた。そう言えば、当時もそう言った記憶がある。よく、父におもちゃなどを買ってもらった記憶がある。
(4) 電車バンガロー
 七里ヶ浜に江ノ電の古くなった車体を数台置いて、夏に貸し出した時期があった。私の家族も、それを利用したことがある。
(5) 食用がえる
 逗子寄りの光明寺に、臨海学校として泊まったときの思い出。
http://www.geocities.jp/rikwhi/riko/otogi/j08_syokuyo.html を参考にしてください。
(6) 津村
 東京に勤めるようになってから、津村に空き家があるので、利用して欲しいと家主から言われて、しばらく住んだことがある。大きな古い家であった。龍口寺に近く、散歩などで延寿の鐘を突いたりしに、よく行ったものだ。


今までは、朝起きたときに、ぐっすり寝て、先日の疲れなどが取れて、気分がさわやかになっていることが多かった。しかし、最近になって、何となく疲れが残っていて、気分が優れない。どうしたことだろうか。
おそらく、加齢によって、身体の細胞が疲弊してしまい、回復できないのではないか? つまり、老化現象の一つである。
そんなことを考えると、あまり先行きがないのではないかと思う。次第に疲れが貯まっていって、倒れてしまうのではないかと心配をする。仕方のないことである。
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